第五章「ドン底」

ドン底 ①

 

26才にして3社目の転職活動は苦しかった。リクルートの正社員試験は1年後に再チャレンジできたが、「お前は必要ない」と言われた相手に、再びアタックする気力はなかった。不合格から3カ月後、徐々に転職活動を始動。帝国データバンクや日経BP、ダイヤモンドビッグ社、外資系広告代理店のスタンダード通信社、キャノン販売などを受けたが、ことごく落ちた。

 

一方、リクルート100%出資の専属代理店から誘っていただき、グループも仕事内容も同じでかなり心が動いたが、「お前はいらない」と言われた会社の格下組織に入るのは、一生、リクルート本体への屈辱心を持ちそうで辞退した。

 

そんな頃、リクルート人材センターから独立し、人材紹介業をやってる先輩を訪ねた。雑談をしてる最中、冗談でCSLを受けないかという話が出た。略称CSL、コンピューターシステムリース(株)は日本IBM、オリックス、モルガン銀行の3社が設立したIBM専門のリース会社で、当時の中途採用市場ではちょっとした話題の会社だった。

 

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毛並みの良さと将来性で人気があったことに加え、東大や京大、早慶などの一流大学卒かつ一流企業の職歴でも、なかなか合格しなかったからだ。いわば、転職市場における難易度・偏差値が高い会社。当然、私も知っていたが、まさか自分のような中途半端な経歴の人材が採用されるはずがない。が、もし受かれば華々しい。ある意味でリクルートよりも偏差値が高い会社に合格すれば、俺を落としたリクルートの連中に鼻が高い!

 

そんな見栄と虚栄心に加え、受かるはずがないという気軽さから受けてみたところ、なぜか合格。これには自分も周囲も驚いた。

 

でも、この会社なら自慢できるし、周囲への転職理由も説明もしやすい。リクルート社内では、栢野は正社員試験に落ちたからリクルートを辞めるのは周知の事実だが、社外の人への説明がしにくかった。対外的には俺はリクルートの正社員。仕事にも満足している、頑張っていると見られていたはずだし、自分でもそう振る舞っていた。

 

それが格上のIBM・オリックス系に転職なら、世間体も問題ない。26才にして3社目の転職は恥ずかしかったが、CSLなら問題ない。今ひとつ、どんな会社でどんな仕事なのかわからないが、会社の経歴や内容では、リクルートのメンバーや友人知人に自慢でき、俺の自己顕示欲も十分満足できる。これ以上の転職先はないなと、CSLへ転職することを決めた。

 

入社の意志を伝えた後、配属先が大阪になると聞かされた。公私ともに気に入っていた東京を離れるのは寂しかったが、再度の転職活動の労力やCSL以上の会社へのチャンスは滅多にないと自分へ言い聞かせ、私は大阪へ旅立った。

 

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◆学歴コンプレックス

 

CSLはその数年前に設立されたばかりの新会社で社員は50名程度だったが、株主は前述したとおりの大御所ばかりで、資本金も30億円あった。社長は日本IBMの専務取締役が兼任。ナンバー2はオリックス、ナンバー3はモルガン銀行からの出向。部長以上も全員が3社からの出向で、課長以下はほぼ全員がプロパー。

 

私が転職した前年に新卒第一期生が入社した他は中途採用だった。大企業の子会社なので生え抜きのプロパーが社長になれる可能性は低かったが、新会社で会社は毎年倍々成長。各部署でのポストも増え、出世の可能性は十分あった。

 

しかし、入社早々、軽いジャブを立て続けに受けた。入社手続きをしている最中、大阪の人事・天野さんが私の履歴書を見て「ほう、立命館か、珍しい」。

 

CSLは無名だが、親会社はそうそうたる一流企業。入社をクリアするには、日本IBM、オリックス、モルガン銀行3社の基準を満たさねばならなかったが、それは実力に加え、相当の学歴も必須だった。

 

少し不安はあったが、やはり社員の出身校は東大や早慶を筆頭に一流大学ばかり。偏差値では私の立命館レベルが一番下だった。配属された大阪支店では、同志社大学や関西学院大学出身者がいたが、立命館は関西大学と並んで社内では最低クラス。

 

天野さんは慶応出身で、格下学歴の私を露骨に見下してきた。他にも、同じ関西で「関関同立」と同じ枠で括られているが、上格の同志社や関学出身者からは白い目で見られた。自意識過剰かもだが、不利な状況だと感じた。

 

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出身大学による就職差別や出世差別。バブル崩壊後、実力主義への移行で無くなりつつあるとは言うが、いわゆる一流大企業では今もかなり残っている。東大早慶などのAクラス、その他東京六大学や関関同立のBクラス、それ以下のCクラスと。

 

ヤマハ発動機の場合、一流大企業にしては「多彩な」出身大学の採用だったが、それは同業他社では高卒がやる仕事だったからだ。あとで知ったが、ヤマハ発動機でも本社の管理職候補と研究開発の理系新卒採用は一流大学出身者で、私ら現場兵隊・大量採用社員とは別枠だったらしい。

 

リクルート社の場合も、社内は完全実力主義ではあったが、正社員の学歴は一流大学卒が非常に多かった。

 

よく考えれば前々から予想はついたが、私はCSL内では学歴で最低だ。学歴一覧などないが、ほぼ全員が誰がどこの大学出身かを知っていた。私も含め、この手の会社ではそういう人種が多い。

 

仕事で実績を上げると「あの人は東大だから」、失敗すると「やっぱ三流大学だしね」と人間自体を見下す。これは中小企業や起業家の世界ではほぼ皆無だが、当時の私は、学歴重視+見栄えのするエリート系企業のサラリーマンであることに価値があると思っていた。

 

しかし、社内で学歴最低。これは相当なプレッシャーとなった。かつ、26才で中途入社したばかりということは、実務実力も最低。だが同年齢はもちろん、新卒入社の24才や25才の年下社員に負けるわけにはいかない。早く中堅社員としての力を付けねばと、日々焦っていた。

 

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ドン底 ②

 

入社数日後、実際の仕事に同行するようになり、なんとなく嫌な感じがした。CSLはIBMコンピューター専門のリース会社。リースとは、簡単に言えば長期の賃貸契約みたいなもの。IBMのコンピューターは当時、一式入れると数千万円から数億した。

 

導入する企業は現金で購入するのではなく、長期契約で毎月のリース料を分割支払いとすることが多かった。我々リース会社の役割は、コンピュータを導入した企業に換わってIBMへ一括で支払い、導入企業からは5年前後のリース契約を結んで毎月リース料を回収する。個人生活で言えば、カード会社や信販会社とほぼ同じ役割。

 

IBMにとっては、売ったコンピューターが即現金で回収でき、企業側は手持ちの現金がなくても気軽に分割払いできる。リース会社は銀行などから資金調達し、毎月のリース料に調達金利以上をオンし、その差額で収益を上げる。

 

我々リース会社の営業マンの仕事は、いかに多くのリース契約を取るか。契約先はIBMのコンピューターを導入する企業。その導入会社をいかに探すかがキーポイントとなるが、一番手っ取り早いのはIBMの営業マンから情報を入手すること。つまり、我々CSL営業マンの仕事の最初は、IBMの営業所を訪問して営業マンに会い、客先企業を紹介してもらうこと。

 

いち早く、IBMコンピュータ導入情報を取得し、他のリース会社よりも早く顧客企業にアプローチして与信審査を通す。一番大事なのは、他のリース会社と競合しないこと。競合すると、リース料の値下げ競争になることが多く、当然、利益は減少する。

 

いかに早く顧客情報を入手し、合い見積もりにならないようにするか。それはマメにIBMの営業マンと接すること、日々、IBMの営業所に顔を出し、「何かあったらよろしくお願いします!」と愛想を振りまくこと。

 

これはどこかで経験した嫌な感覚。そう、ダメだったヤマハ発動機時代のルートセールスと同じだ。主導権が取れない営業。コバン鮫、金魚の糞。人が苦労して取ってきた案件におんぶにだっこ。しかし、逆に言えば「ウ飼いの鵜将」と自分を慰めたが・・・。

 

私はIBMの営業マンにペコペコするのが嫌で、自分で飛び込み営業もしてみた。CSLはIBM専門のリース会社だったので、「IBMのコンピューターはいりませんか?」と。リクルート時代で実績を上げた、新規開拓営業力を見せてやるぞと。

 

しかし、数十万円程度の広告とはわけが違う。IBMのオフィスコンピューターは、小型でもハードとソフトを合わせ最低でも一千万円以上。かつ、私はコンピュータのことは何も分からないど素人。1週間程度だったが、飛び込みは空振りに終わった。

 

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仕方なく、IBMの営業所廻りで愛想を振りまくしかなかった。ブラッと顔を出し、IBM営業マンと目を合わせ、彼らが営業先に出す提案書のリース料試算をする。総購入金額と機器の種類とリース期間と残務価値(中古価値)を金利計算できるヒューレットパッカードのポケットコンピュータに打ち込み、「はい。それだと月々のリースレートは1,9です」とか。私には実に退屈な営業だった。

 

極端に言えば、相手に提示できるのは値段だけ。企画や提案はほとんど関係ない。IBMのリース子会社なので、IBMが全部主導する。中には複雑なリース取り組みもあり、裏では複雑な金利計算や契約条項の練り直しをするような案件もあったが、表向きの勝負はリース料の安さだけだった。

 

会う相手もIBMの営業マンの他は、コンピューターを導入した企業の電算室担当者のみ。こっちは単なるリース屋。相手もこちらもお互い、コンピュータを通じた経営合理化とか戦略の話し相手にはならない。リクルート時代に比べると、経営者に会う機会も皆無に近く、いわゆるやりがいに欠けた。

もちろん、皆がそうではない。私個人の能力やヤル気不足が一番の原因だ。

 

こうして、IBMの営業マンからリース料の見積もり計算を依頼されるのを待ち、単調な計算をし、競合のリース会社が出れば、うやうやしい安値了解を求める稟議書を書いた。

 

なんというか、パワーがエンドユーザーではなく、身内のIBMと稟議を通す社内に向いている。かつ、自分に合っていない、自分より高学歴で仕事もできる人が多く、今後の出世の可能性も低い。違和感がある。

 

などと思いながらも、社会に出て三社目の会社だ。もう辞めるわけにはいかない。

 

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●新人教育が出来ない!

 

翌年、新卒の社員が大阪支店に数人配属されてきた。私にとっては後輩。年齢は5才ほど下だった。その頃には社内にも仕事にもなんとか慣れ(たと思っていたが)、同僚と週に数回はカラオケに行ったり、週末にはテニスをやったり、正社員としてのサラリーマン生活を楽しめるようになった。

 

ヤマハ発動機の時は入社9カ月でノイローゼ退社、リクルートは3年弱勤めたが正社員になれず、身分が安定していた時期はなかった。やっと手に入れた正社員の身分。しかも、世間的には無名だが、CSLは資本金30億円の大企業。かつ、入社2年を過ぎた頃に社内恋愛を始め、目出度く婚約。仕事に恋に、人生で最高に充実した時期を迎える。

 

まさに我が世の春を謳歌していた中途入社3年目の春、私に初めての部下が出来た。同じ立命館大学出身で新卒入社の女の子。美人で隠れグラマー。心がかなり動揺した。

 

私は新人教育係として、日々、彼女と行動を共にするようになった。同じような教育係は大阪支店では私の他に4人。役職はないが、入社3年目、4年目の中堅社員。新しい競争の始まりだ。普段の営業の他、教育係として、いかに新人を育てられるか。マネジャーの登竜門、管理職への一歩。

 

実はこれが私の、地獄への転落のはじまりだった。

 

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新人からは様々な質問を受ける。しかし、私はほとんどマトモに答えられない自分に愕然とした。曖昧に仕事をこなし、難題を誤魔化してきたつけが来たと思った。他の教育係に比べると明らかに見劣りする。「いかん。こんなところで汚点を表面化させてはまずい」。その焦りがますます私を追いつめた。

 

私は初夏に社内結婚を予定していた。しかも相手の父親は親会社IBMの管理職。ここで粗相をしでかすわけにはいかない。式まであと3カ月弱。一番格好をつけねばならない時期。しかし、新人に何も教えることが出来ない。今さら周囲に聞くわけにも行かず、焦りに焦った。

 

そして運悪く、私にとっては複雑で難しい案件がIBMから来た。リース料の計算、契約条項の変更稟議、与信審査などを巡り、私はIBMと社内との板挟みになった。おそらく、社内の平均的な社員にはそう大した案件ではなかったが、私には難しかった。

 

しかし、新人の教育係も兼ねていため、「その程度もわからないの?」とバレルのが恐く、問題は上司に相談しなかった。そして自分で抱え込み、事態は益々悪化していった。

 

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◆甦る悪夢 ③

 

5月の連休を悶々とした気持ちで過ごし、6月になる頃には朦朧とした日々が続いた。業務は何とかこなしている。しかし、影では隠した未処理案件がある。新人教育も行き詰まっている。一方で結婚式は1カ月後と目の前に迫る。披露宴の招待状もすでに出した。

 

今は人生で一番カッコつけねばならぬ時期なのだ。

 

が、ある日、私は会社を休んだ。体調が悪いと。あのヤマハ発動機時代の悪夢が蘇った。出社拒否。私は仕事から逃げた。うまく行かない。通常業務がこなせない、部下を指導できない。つまり、私はダメ社員ですと証明したようなもの。1カ月後には社内結婚する予定なのに。そのプレッシャーは文字通り私を潰した。

 

出社拒否を繰り返して悩んだ末、生まれて初めて精神科の門を叩いた。精神科に行くこと自体がサラリーマン失格と思ったが、もはや藁にすがるしかない。結果は「うつ病」。やる気がない、落ち込んでいる・・・。

 

が、それは仕事ができないから。出世競争に敗れたから。一番大事な結婚式前に恥ずかしい事態になったから。原因ははっきりしていた。

 

数日休んだ後、なんとか這うように会社へ行った。その週末、社内ゴルフコンペがあり、3人のパーティと廻った。病気明けで体に余分な力が抜けたからか、ドライバーがジャストミート。得意げに、同じパーティだった白石常務の顔を見た。

 

ところが、その顔は私のナイスショットには感心もなく、明らかに軽蔑の表情。

 

「お前は仕事に行き詰まっているらしいな。

うつ病だって?社員失格じゃないの?ああ?」

 

という声が聞こえるような顔。

 

愕然とした。打ちのめされた。同時に、終わったとも思った。

 

もうダメ社員だとばれてしまった。もうダメだ。心の中の最後の緊張の糸が切れる音がした。精神的に弱っている人間を殺すには、無視する、軽蔑する表情だけで良いのだ。

 

それから数週間のことはよく覚えていない。またも出社拒否。もう会社は辞めるしかない。同時に社内恋愛の結婚もお終いだ。会社に辞表を出し、式場に破談を伝えに行き、披露宴の案内状を出していた友人知人に電話をした。

 

挙式直前の破談。最低。恥ずかしい。

 

電話を受けた友人も、破談になったと伝えた瞬間、理由も聞かずに「まあ、よくあることだから」と慰めてくれたが、気まずいのか早々に電話を切られる。

 

もうすべてはお終いだ。人生で最も大事な、仕事、女・家庭、そして友人知人・親類縁者の信頼も一気に失った。仕事と私生活すべてを失う大失態。まさに自滅だった。

 

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●自殺未遂

 

本来なら、会社の上司・同僚・先輩・後輩、取引先、友人知人、親兄弟や親族一同・・・・自分の今までの人生で一番大事な人たちに、一番かっこよく見せ、人生最高の時を迎えるはずだったのに、まさに天国から地獄への転落。婚約者はもちろん、周囲にも多大な迷惑をかけた。全部、自分の責任。最低最悪。こんなに惨めで恥ずかしいことはない。

 

絶望

 

まさに望みは絶えた。俺はもう生きる価値はない。死ぬしかない。マイナス発想100%。友人知人のすべては去り、声をかけてくれる人もなく、助けてくれる人もなく、自分でも何をどうしたらいいか全くわからない。相談する相手も頼る人もいない。逆の立場で考えれば、こんなサイテーなヤツとは関わりたくないはず。当たり前だ。

 

こんな人間は生きる価値はない。すべては終わった。

 

朦朧とした意識で、私は夢遊病者のように外へ出た。自宅だった大阪府茨木市千里丘のアパート近くにJR京都線があり、鉄道自殺を考えた。が、踏切で事後の損害賠償で家族に迷惑がかかるらしいと気づき、かつ、バラバラ切断は痛そうだと引き返す。ガス自殺は痛みはなさそうだったが、爆発したら周囲に迷惑がかかるし恐い。栓をひねってスグ閉じた。次は睡眠薬自殺を考えた。これが一番安らかに死ねそうだったが、実際に薬局に行くと「すみません。睡眠薬を下さい」となかなか口に出せない。結局、リポビタンDを買って帰ってきた。ビルの飛び降り自殺も考えたが、いざとなると足がすくんで怖い。車にひかれるのはどうだ。刑事ドラマなんかで、追われた犯人が道路に飛び出して車にぶつかり、宙に飛ばされて息絶えるシーンがある。あれなら即死でいいかも。これも実際に大通りに出て、歩道から車道に「さあ、行くぞ!」と何度か飛び出そうとしたが、かけ声だけで足が動かない。やはり死ぬのは怖い。死にたくない。そう考える余裕はあったようで、自殺は諦めた。

 

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すべてが白紙になった最後の出社日、会社を出るシーンはよく覚えている。机を整理して持ち物をカバンに入れ、ばつの悪さと恥ずかしさで頬が震えた。それを誤魔化そうと薄ら笑いを浮かべながら、頭だけを中途半端に四方へ下げ、逃げるように出口へ向かう。

 

皆が仕事をしながら、横目で私を見ているのがわかる。

 

「あーあ、栢野さんは結婚式1カ月前に会社を辞めるなんて。仕事も結婚も滅茶苦茶ね。何とも無惨」

 

本来はキチンと退社挨拶をするものだろうが、とてもそんな余裕はない。送別会もない。会社側も腫れ物に触るような感じで、何も言わなかった。社内の元婚約者は皆と同じく、私が出ていくのに気づかないように仕事をしている、ふりをしている。無理に笑顔を浮かべ、健気な姿が痛ましい。本来なら、今頃はホテルで挙式と披露宴をしていたはず。女性にとって、結婚式は一生のうちで最高の思い出になるのに、俺がすべてを滅茶苦茶にしてしまった。

 

俺は人類史上最低の男。最悪最低な人間だ。本当に申し訳ない。

 

しかし、私は一刻も早く、この場を去りたかった。

 

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