詐欺師を越えて

「人生は一度。詐欺師で終わりたくない」

 

倒産寸前から日本一の無添石鹸メーカーへ。

  • シャボン玉石けん株式会社

代表取締役 森田光徳

 

学習院大学卒業→家業の森田商店(現シャボン玉石けん)に入社→社長に就任

シャボン玉石けん(株)は、無添加の石鹸やシャンプーで日本一のメーカー。元々は合成洗剤の販売で成功していたが、’74年、森田氏自らの湿疹の原因が合成洗剤にあることを知り「体に悪いものは売れない」と無添剤粉石鹸へ180度の事業転換。売上は1/10に急減し、反対する社員の退社、下請け工場の倒産等で17年間の赤字状態に陥る。

病にも倒れ、ストレスで髪も真っ白になるが、平成3年に書いた本と近年の環境・安全意識の高まりもあり、その後は増収増益で年商は60億円を突破している。

■突然の帰郷。突然の社長就任。

 

森田は昭和4年北九州市若松生まれ。実家は酒や雑貨・石鹸の問屋だった。小学生時代から配達などの手伝いをさせられ、日曜祝日も仕事。「そんな生活から抜け出したい」と、大学は東京の学習院に進む。卒業時、出光興産に内定は貰っていたが、母親に強引に連れ戻されて家業に入る。「でも兄が2人居ましたし、いつかは抜け出そうと思ってました」。

帰った翌日から小倉営業所を任される。と言っても、行くと倉庫があるだけ。森田は一人で屋根裏に住み込み、営業・配達・倉庫整理に没頭。小さい頃から家業の手伝いをさせられた癖が蘇り、毎晩12時過ぎまで休みなく働いたという。

1年で小倉営業所を軌道に乗せ、森田は本社に戻る。当時、父は既に70歳だったが長男が社長をしており、他に次兄もいて後を継ぐ必要もない。森田は相変わらず他の道への転身を考えていた。

ところが1959年、長男が40歳の時に突然、急性心不全で亡くなる。その後、父は社業を石鹸部門とゴム関係に分社。ゴム関係を次兄が担当し、森田は石鹸部門を任されることになる。「当時の状況では逃げられず」、1964年には社長に就任。32歳だった。

嫌々引き継いだ家業で新規事業に失敗したり、不渡り手形をつかんで倒産の危機にも遭ったが、社業は順調に成長。元々は石鹸問屋だったが、当時は急速に電気洗濯機が普及し、森田が扱うものも合成洗剤が9割を占めていた。

そんな1971年、森田の体に異変が起きる。

 

■自分の湿疹で、合成洗剤を辞める

 

森田は、34歳から10年も湿疹で悩んでいた。温泉に行っても、皮膚科をはしごしても原因がわからない。そんな時に、国鉄から無添加石鹸の発注を受ける。当時、納めていた合成洗剤で列車を洗うとサビが出るからという理由だった。

「仕方なく、下請けメーカーに純度の高い無添加石鹸を作らせ、まずは自宅で洗濯などに使用してみた。すると、湿疹がピタッと止まったんです。

これはもしやと、当時のわが社のドル箱の合成洗剤で下着を洗って使ったら、元のように一発で湿疹が出た。ビックリしましたね。

それ以前に、合成洗剤で皮膚湿疹が出るとかいうのは本で読んで知ってた。でも、微量なら大したことはないと、お客には言っていました。

だけど、実際に洗剤を替えるだけで自分は良くなった。しかも、元に戻したら1回で湿疹が出た。こりゃ恐いと、自社の合成洗剤を使うのを辞め、それ以来、わが家では無添加の石鹸に切り替えていたんです。

悩みました。それまでの合成洗剤は順調に売れてて、儲かって、今月は目標なんぼと指図して、でも自分の家では危ないから使わない。なんか、盗人みたいなことをやってるのと一緒ですね。段々と後ろめたくなり、自分は詐欺師だと」。

 

■売上は10分の1に。社員も全員退社。

 

それから3年後の夏、森田は過労と高血圧で入院。医者から「このままでは命に関わる」と言われ、初めて自分の死を意識した。

「ベッドで何度も考えました。人生は一度限り。やっぱり悪いもん売っちゃいかんと。自分の生きた証としてもね。合成洗剤は儲かるけど、金のために使われて、金儲けたってあの世には持っていけない。

無添加石鹸を試験的に作って配ったら、湿疹や肌荒れに悩む人から”ありがとうございます。こういう良いものを作り続けてください”と言われた。有り難いことにね。

ああ、やっぱりこれだ。こういうお客さんから本当に感謝されるものを作っていきたい。

自分の信念を貫こう、悔いのない人生、正しい商売をしようと、退院時に決めました」。

復帰後、森田は全社員・取引先に合成洗剤の取扱いを辞めると宣言。しかし、社員は全員反対した。それも当然。当時の年商は約10億円だったが、その9割が合成洗剤だったからだ。

環境や体に良い石鹸は売れると説いた森田だが、商品を合成洗剤から無添加石鹸に変えた途端に売上が急減。それまでの月商1億円は、アッという間に1/10の100万円を切った。これは会社も潰れると悲観した社員も次々に退社し、従業員は1年で68人から10人に。その後も事業は上向かず、数年後には全員が辞めた。

森田は資産を切り売りし、支払いを延ばしてもらって乗り切る日々が続く。自らの生活も小さなメザシに豆腐という極貧状態に陥る。しかし、「無添加石鹸を世に広めるのが自分の使命」と目覚めた森田は、夢に向かって歩み続けた。

それから少しずつ、森田の考えに共感する人も新しく採用した。

「今、うちの工場長なんか大学出て丸26年になるが、”うちはこういう世にないものを作るんだぞ、こういう人の為になるのを売るんだぞ。うちに入社したら、自分は勿論、親もこれを使うんだぞ”と説得した」。

1980年代初頭、有吉佐和子の小説「複合汚染」がベストセラーになり、人々の環境や公害への意識が高まる。そして、自然に優しい無添加石鹸への関心も高まり、徐々にスーパーや薬局、生協などが扱うようになった。

しかし、知名度も上がり、これからだと思った矢先、下請け工場が閉鎖するという危機に直面する。

 

■自社工場を建設。一大勝負に出る

 

前にも同じ経験で苦労した森田は、一大決心して自社工場建設を決意。小倉の関連会社を売却し、本社も工場の一角に縮小移転。ゴルフ会員権も売却し、同級生からも出資を募った。総投資額は7億円。当時、会社はまだ赤字で売り上げも数億円の時代だ。

「自社生産するなら、今までにない無添加石鹸を作りたかった。しかし、純度の高い石鹸を粉にして乾燥させるのは難しい。ドロドロした石鹸を上から落として熱風で吹き上げるんですが、純度が高いと燃えてしまう。元が油だからだ。

それで大手メーカーは炭酸塩などを混ぜて燃えににくする。だから合成は純度も下がり、アルカリ性も強くなって毛や絹は洗えない。

完成した工場のスプレータワーは、液状の石鹸素地を空中に噴霧して乾燥させ、マカロニのように中に空気を含んでサラッとしたものができる。純石鹸分99%でね。この純度のやつは大手もできない。化学物質を使う設備では無添加は作れないよ」。

こうして、1987年に自社生産を始めるが、その後も3年間は全く売れなかった。石鹸や洗剤は見た目も大差はなく、大手の宣伝力には叶わない。流通小売業も無視を続けた。

転機になったのは1991年。それまでの研究と自分の経験をまとめ、森田自らが書いた本”自然流せっけん読本”の出版だ。

「どうして消費者はわかってくれないんだ、合成洗剤はこんなに危ないんだと、罵りながら書いた。その本が売れた。うちは通販もやっているが、それまで月100万円の売上が、本を出した翌月には200万円になり、数ヶ月後には500万円となった。それで火が着き、泥まみれのシャボン玉がやっと浮き上がった」。

その後も本は版を重ねて20刷。今では通販だけで月に1億円以上を売り上げる。

 

■17年の赤字に終止符。講演は年100回。

 

本が売れ、流通の対応もガラッと変わった。以前は、東京の生協などに行っても玄関払いされていたが、購買担当者が押し寄せた。

「環境意識の高い生協の組合員が”石鹸分が99%のものがあるじゃないか。私、今使ってるよ。なんでこんな商品を扱わないのか。生協に一番ぴったりじゃないか”と。まさに消費者が流通を動かしたんです」。

西友など、他社ブランドOEM生産も増えた。

「西友との取引は本がきっかけ。商品は他の上場会社に9分9厘決まっていたが、開発部長が私の本を読んで購買担当者に”お前、いいのがあるやないか。こっちは石鹸分60%、シャボン玉は99%やないか。60%じゃ差別化できん”と」。

こうして火が着き、会社は1991年に黒字転換。無添加石鹸専業に切り替えて17年間の赤字に終止符を打った。

環境意識の高い人向けに本は売れ続け、森田はアチコチから講演に呼ばれるようになる。売上もうなぎ登り。’91年の4億円が、翌年にはなんと倍増の8億円で累積赤字も解消。その後も増収増益を続け、’98年には30億円を突破。そして、わずかその3年後の2001年には年商60億円を超え、グループでは約80億円になった。

大手メーカーのものは、ほとんどが様々な化学物質を混ぜた合成ものだが、シャボン玉石けん(株)は化学物質を一切使わない。製造にも時間をかける。

「原料はヤシ油等、動植物の脂肪。粉石鹸の場合は米ぬかなども使うね。それを様々に配合する。口に入っても安全な原料しか使わない。

大手メーカーの化粧石鹸が1個100グラムで100円で、うちの浴用石鹸が100グラム130円と3割も高い。しかし、他社は原料から4時間で出来るが、うちのはじっくり熟成させて1週間かける。酒造りと一緒だね。熟成に熟成を重ねる」。

4時間と1週間の違いで30円の差というのは、手間暇を考えると相当な企業努力。最近は真似をするメーカーも増えだした。

「うちは無添加に切り替えて29年。そのうち17年間、43歳から始めて60歳まで地べたに這いつくばってやってきた。そうそうは追いつけない。特に大手メーカーは今更、無添加石鹸への転換は無理。それは自分の事業=合成洗剤をすべて否定することになるますからね」。

東急ハンズではシャボン玉製品が一番売れるという。理由は、ジーパンの色落ちではシャボン玉石けんが一番いい色になるというからだ。環境には感心ない若者にも、意外な理由でファンが急増中だ。

森田への講演依頼は相変わらず多く、この数年は年間100回を超えて、月の半分は全国を回っている。

 

■理想の代償と覚悟

 

最近は消費者団体よりも、経済団体などからの講演依頼が多い。

「よく、”あなたは自分の人生哲学と仕事がピッタリだからうらやましい。でも、世の中は皆、これじゃいかんなあと思いながらも、銭のために働きよるですよ”といわれる。

でもね。こっちはその代わり17年間給料もらわなんでもという意気込みで、歯を食いしばって働いてきた。理想を追求するにはそれなりの代償と覚悟が必要だということなんです」。

企業の不祥事や金儲け主義が露呈される現在、あらためて世のため、人のために働きたいという人が増えている。シャボン玉石けんはそういう胸を張れる数少ない企業の一つといえるだろう。

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