「第五章」脱サラ失敗に学ぶ

[第五章]バカは脱サラ失敗に学ぶ

誰もが一度は夢見る独立起業=一国一城の主。書店には様々な独立雑誌や本が溢れ、「貴方も簡単に成功します」というバラ色の話が載っていますね。しかし、サラリーマン時代は成功していても、いざ脱サラとなると現実は厳しい。中小企業庁の調査によると、脱サラして1年で約3割が廃業していて、5年後には7割がない。そして、10年後には9割が廃業しています。特に、それまで大企業にいた人が、いきなり脱サラすると失敗する確率が高い。原因はいろいろありますが、自分の実力と会社の看板や知名度を勘違いしていることが多いからです。

私がリクルート社に務めていた頃、求人広告の営業は面白いように契約が取れました。社内でも何回か新規開拓数でトップとなり、俺は営業の天才かも知れないと思ったものです。ところが、脱サラして同じ仕事を代理店としてやったんですが、アポイントが以前の1/5も取れない。「インタークロス? 知らないねえ。ウチはリクルートでやってるからイイよ」。つまり、以前は自分はできると思っていたんですが、お客の大半はリクルート社という看板を信用していたのです。世間は甘くないなと痛感しました。

九州の無国籍料理の元祖と言われる異色の居酒屋「地球屋」。植松社長は焼鳥屋として脱サラしたのですが、当初10年は何をやっても失敗の連続。常に借金取りに追われる生活で、家賃の支払いも滞る日々でした。そして、ある日帰宅すると電気が着かない。ついに電気も止められ、奥さんがワッと泣き出したそうです。その姿を見て植松さんは目覚め、

初めて本気になって料理の研究に没頭。出来上がったのが「カラムーチョ鍋」というエスニック料理で、当時の激辛ブームにも乗ってお店は大繁盛店に生まれ変わりました。

福岡の働く女性を応援する雑誌「アヴァンティ」の村山さんも、独立1年で赤字が1500万円にまで急増。2年目も赤字で、どうしようもない状態がその後も続きました。このままでは潰れると慌てて経営者の勉強会に顔を出し、「社長の役目は小さなことをケチケチするのでなく、仕入れなどの大きな経費を節約すること」とアドバイスを受け、雑誌の印刷コストを見直し。その結果、制作コストを大幅に減らすことができ、窮地を脱しました。

進学塾で九州最大手の「英進館」は、筒井会長が九州松下電器を脱サラして昭和54年に創業。しかし、当初100名の生徒募集に対して16人しか集まらず、4教室を2教室に縮小してアパートの一室に移転。半年後には借金1000万円を抱えて倒産寸前になりましたが、妻の実家に代理返済して貰ったそうです。

九州最大の折込求人紙「にっしょう」を発行する日晶の奥田社長。高校の美術教師を経てデザイン事務所を開業しますが、1年で閉鎖。次のミニコミ誌発行も、1年半で3000万円の赤字を抱えて廃業。仕方なく印刷ブローカーに転じ、細々と合同の求人チラシを発行します。大手の求人誌に比べると地味な媒体ですが、安くてタイムリーな企画とエリア限定の営業方法でパート求人の市場を独占。今ではグループ年商10億円を超えます。

女性らしい丁寧なホームページ作りで定評のある「フロンティア」の小牧社長も、脱サラ当初は失敗の連続でした。最初はフリーマーケットの情報誌で脱サラしますが、広告が全く集まらずに半年で廃刊。その後、独立やFCの企画支援業に転じますが、セミナーの集客にも大失敗。一人寂しく海を眺めながら、泣き叫んだそうです。しかし、金もなくなり、インターネットでの独立雑誌を試したところ、低コストでの顧客集客に成功。その経験を活かし、現在のホームページ制作・企画運営に転じました。

サラリーマン時代に実績を上げていても、脱サラはヨチヨチ歩きの社長1年生。事前にどんなに勉強しても、実際にやってみると失敗の連続です。しかし、試みのないところには成功もありません。転んだり、頭をぶつけたりしながら、少しずつ成長していくのが普通です。失敗した直後は苦しいですが、時間と共に、必ず貴重な経験になります。

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