「第九章」病気に学ぶ

[第九章]バカは病気に学ぶ

九州の女性で唯一、税理士・社会保険労務士・中小企業診断士の資格を持つ「そめいよりこ」税理士は、高校を卒業して九州歯科大学へ入学。しかし、授業に全く着いて行けずにストレスが溜まり、自律神経失調症で倒れます。1年間休学しても勉学に意欲が出ず、大学は途中で退学するハメに。その後も対人恐怖症で転職を15回も繰り返します。

そして、34歳の時に「自分は大学も中退し、仕事も3年以上続いたことがない。このまま何も成し遂げずに、人生を過ごしていいのか?」と一念発起。昼は事務員で夜は受験学校に通う生活を4年続け、見事、税理士試験に合格します。2003年1月には資格取得の本が全国出版の予定。「大学を休学し、静養中に読んだ簿記の本がこの世界に入るきっかけ。受験勉強の学費で借金も100万円以上抱え、後がない状態が良かったですね」。

青汁の「マズイ、もう一杯!」で有名な「キューサイ」の長谷川社長は、煎餅屋で脱サラ後に冷凍卵焼き事業が順調な45歳の時、脳血栓で生死の境を彷徨います。西洋医学に見放され、様々な療法を試した末に辿り着いたのが青汁。奇跡的に快復し、その効能と感動を伝えたいと、得意の冷凍技術で開発したのがキューサイ青汁です。

消費者金融の大手「三洋信販」の椎木会長は、国鉄を経て警察勤務中に結核が発症。23歳から30歳迄入院生活を送ります。7年も病気療養中だった人間には社会も冷たく、仕方なく、義兄がやっていた質屋に番頭で就職。翌年、妻との結婚話が持ち上がりますが「番頭では嫁にやれない」と相手方から反対に遭い、質屋の延長線として小倉で金融業を始めます。幾度もの倒産の危機を乗り越え、今では一部上場企業に大発展。「企業経営は生き残りを賭けた闘い。闘病経験は貴重な経験だった」そうです。

人材派遣で毎年2ケタ成長するトータルクリエイション。社長のはぜ山さんは銀行マン時代に重度の糖尿病にかかり、一時は失明状態に。将来を悲観したはぜ山さんは病院の屋上で自殺を試みますが、妻子の顔が浮かんで思い留まります。

その後、1年間の長期療養で病気は回復しますが、銀行は32歳で退職。体力を着けようと、今の会社で日雇い労働者になります。エリート銀行マンから一転しての肉体労働でしたが「どん底を味わったから恐いモノはない」と、営業員に転じてからは朝5時には出勤。その働きぶりが認められ、2000年には社長に抜擢されました。

ソフトバンクの孫さんは、今や資産数兆円とインターネット業界の革命児ですが、創業時に重度の肝臓病で3年も入退院を繰り返しました。開き直った孫さんは、入院中に4000冊の本を読破。そして「孫子の兵法」と「ランチェスター法則」という経営戦略のバイブルに出逢い、退院後は立て続けに新規事業を成功へ導きました。

一代でミサワホームを作り上げた三沢社長も、大学4年の時に結核で入院。6年間も病院のベッドで毎日病室の天井や柱を眺め、考案したのが「木質接着プレハブ工法」です。

障害者向けの商品開発で日本一の「ハンディネットワーク」春山社長は、24歳の時に進行性筋ジストロフィー症が発症。首から下は全く動けなくなり、車椅子生活に陥ります。しかし、車椅子発注の際に、消費者ニーズを無視した業界の現状に怒り心頭。自ら障害者向けの店を開き、その後は、トヨタや大塚製薬、東京海上火災などの大企業を相手に、様々な商品開発のコンサルティングを行っています。

健康な人が大病や死に目に遭うと悲観します。特に長期入院で失業状態になると、絶望状態に陥るようです。しかし、大物の条件は「投獄」「倒産」「大病」「臨死体験」と言われるように、大病は人生観が一変します。自殺まで考えたはぜ山さんは「生きているだけで何と有り難いことか。普通であることの奇跡と感謝に目覚めた」そうです。

「病気で失ったもの数えるのではなく、残った機能で何ができるか考えよ」(ハンディネットワーク・春山さん)。大病は、天が与えた千載一遇のチャンスと考えたいものです。

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