「第三章」就職失敗に学ぶ

第三章<バカは就職失敗で学ぶ>

まえがきにも書きましたが、バブル崩壊後、長期の就職氷河期が続いています。また、新卒で入社しても、その3割から5割は3年後には退社しています。そもそも、何も社会のことを知らない学生が、在学中に自分の一生を決める仕事を見つけたり、自分のやりたいことを見つけるのは難しくて当たり前です。最近では、企業の実態を経験するインターンシップ等を導入する大学も増えていますが、多くて2,3の会社でアルバイト程度の仕事では、適性などはわかるはずがありません。

私も最初の就職活動でリクルートブック等を読みあさりましたが、仕事の適性などは全くわかりませんでした。というより、仕事内容などには問題意識のかけらもなく、とりあえずは大企業、有名企業に就職するのが人生の成功だと思っていました。最初の就職活動で廻ったのはNEC、松下電器貿易、日興証券、大和証券、内田洋行、大沢商会、兼松。 このうち内定は日興証券と大和証券しか貰えなかったので、とりあえず日興証券にでもするかと思っていました。そんな時に、ヤマハ発動機から二次募集のDMが。駄目元で応募するとなぜか受かり、結局、名刺交換した時の格好良さを考えてヤマハ発動機への入社を決めました。仕事内容や適性などは全く考えず、ブランドで決めたのです。

バイク屋さん廻りのルートセールスだったんですが、「俺は有名大学出身で天下のヤマハの人間だ。中卒や高卒のバイク屋の親父に頭なんか下げられるか」というバカなプライド人間。全てのバイク屋さんから総スカンを喰らい、入社した年末には社宅に閉じこもってノイローゼ退社しました。その時は、これで人生は終わったと本気で思いましたね。

でも、今をときめく人達も、就職失敗した人は山ほどいます。湯葉豆腐料理チェーン店「梅の花」の梅野社長は、商業高校卒業後の日産ディーラーは「修理の仕事が合わずに」3カ月で退社。その後の温泉旅館見習いも半年で逃げ出しています。環境衛生サービスで日本一の「サニックス」宗政社長も、高校卒業して23歳迄は転職や放浪を繰り返し、何をやったらいいか全くわからなかったそうです。

西日本一のパソコン販売チェーン「アプライド」の岡社長は大学卒業後、電子基盤メーカー入社1カ月で盲腸になって入院。ヤル気を失って退社し、秋葉原のわずか四畳半の電子部品商社に転職しました。そこも3カ月しかいませんでしたが、社長と2人の環境で商売の仕方を学び、その後福岡で小さな部品屋を開業したのがアプライドの始まりです。

「ダスキン」の独立代理店で九州ベスト3の伊藤さんは、福岡大学の学生時代より将来の独立を計画。商売を覚えるには大手の歯車より中小企業だと、あえて小さな薬メーカーに就職して社内NO1のセールスになりました。その後、赤ちゃん用品のコンビで新規事業の立ち上げや零細婦人服店勤務を経て、独立を果たしています。

「ユニクロ」柳井社長は、早稲田大学を卒業して量販店のジャスコに入社しますが、「全く面白くなくて」1年で退社。他にやりたいこともなく、実家の洋服店を引き継ぎます。

「帝国データバンク」福岡支店で企業取材や講演で活躍する江口さんは、早稲田大学から日本経済新聞社記者という絵に描いたようなエリートでしたが、スクープ取材の扱いを巡って上司と対立。退社せざるを得なくなり、その後1年間は失業者を経験しました。

「福岡大学」で異色のベンチャー企業論を主催し、学内改革を推進している阿比留教授も、最初の就職先である証券会社は「営業が全くできずに」1年で退職。民間企業での自分の力を見限り、大学院を経て学問の道へ進みました。今は偉そうに学生へ進路指導している大学教授も、昔はみんな迷っていたのです。そして失敗しているのです。

社会に出て最初の就職で失敗すると、大きな挫折感があります。有名大学→大企業の人ほど、深刻に考えてしまいます。しかし、20代で自分の天命を知るような人は殆どいません。阿比留教授のように、失敗は早めに自分の適性を知るチャンスでもあるのです。

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