「第七章」倒産に学ぶ

[第七章]バカは倒産で学ぶ

日本では、倒産すると二度と這い上がれないというイメージがあります。しかし、バブル崩壊後、大企業の倒産や廃業・合併も日常茶飯事ですし、統計上も企業は設立10年で約9割が倒産・廃業。設立30年後では、実に97%の会社が存在していません(2001年、船井総合研究所調べ)。つまり、会社というものは潰れるのが当たり前なのです。
ベスト電器の創業者・北田会長は戦後引き揚げてきて、炭坑向け水道部品の販売で独立します。しかし、代金回収が焦げ付いて倒産。その後に倉庫業で復活し、家電製品を安売りするバーゲンセンターが現在のベスト電器のスタートになりました。
焼き肉やうどんの「ウエスト」堺会長も倒産経験者。西南大学を卒業して古着屋や服地卸・小売りの西文商店をやっていましたが、40歳の時に倒産。アメリカでドライブインを視察し、知人の保証で福岡県福間に開いた「ウエスト」1号店で再起しました。
全国に数万人の人脈ネットワークを持つ「イシカワ経営企画研究所」の石川さんは、沖縄で21歳の時に家庭用品販売で独立。その後もスーパー、証券業、ホテル等の経営・再建を手がけます。しかし、36歳の時に福岡で住宅改修業に失敗。倒産して1億円の借金を抱えます。38歳の時に経営コンサルタントで再起。型破りな経験で大手ビールメーカーの大ヒット商品を開発し、各種講演や研修に引っ張りだこに。自社企画のアイデア商品「だいじょうぶだ石」も累計30万個のベストセラーで、借金は約10年で返済しました。
電話秘書と貸しオフィスで九州トップ「天神商工センター」の池田社長は、38歳の時に建設業の夫が倒産。専業主婦だった池田さんは、子育てしかできないと夜間保育園を開業。水商売の女性達にチラシを必死で手配りしました。結果は初年度から成功し、のちに手がけた電話代行業も、主婦の感覚とサービス力が大人気になりました。
福岡の有力ITベンチャー「NBS」。石橋社長は小野田セメントを経て、海外プラントの電装エンジニアリング業で独立しますが、イラン・イラク戦争に巻き込まれて創業16年目の昭和63年に倒産。債権者に監禁されるなどの修羅場を経験します。しかし、4年間のサラリーマンを経て、再びNBSの代表に就任。海外エンジニアリングとセキュリティの高い技術が評価され、2005年の株式公開を目指すまでに成長しています。
蔵書50万冊、文庫本専門では世界一の「ふるほん文庫やさん」谷口会長は2度の倒産経験者。メナード化粧品のトップセールスを経て化粧品の販売会社を設立しますが、メーカーが不渡り出して連鎖倒産。他の化粧品の代理店やブラシメーカー勤務を経て、再び化粧品や下着で独立するも2度目の倒産。無一文になり、パチンコ店に勤務します。
その後、重病で入院中に文庫本の面白さに目覚め、文庫本専門古書店を考案。1日240円の食費で切りつめた生活を7年続け、11万冊の文庫本を収集して開業します。2001年にはNPO「としょかん文庫やさん」を創設。北九州市の協力で廃校の小学校を利用し、こちらは蔵書500万冊と民間図書館で日本一を目指しています。
その他、「ブックオフ」の坂本社長は、最初の脱サラであるオーディオショップを3年で廃業。経営コンサルティングの業界大手・船井総合研究所の船井会長も、20代最初の独立は2年で廃業しています。車の買い取り専門店「ガリバー」の羽鳥社長も、前職のクレーン会社時代に倒産。シュレッダーの「明光商会」高木社長も、20歳で創業したストッキング販売に失敗し、29歳で再び起業します。起業家研究では第一人者の「創業開発研究所」小久保社長も20代で事業に失敗。自殺未遂や実家売却等の辛酸を舐めます。そして研修会社勤務の後、起業する人をサポートするコンサルタントに転身します。
倒産や廃業時は周りに迷惑を掛け、債権者から強烈に責められます。しかし、命までは取られません。ヤオハン倒産で一度は失脚した元会長の和田さんは、70歳を過ぎて講演を年間200回もこなしています。人生は、死ぬ間際まで再起するチャンスがあるのです。

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