「第一章」バカは貧乏で学ぶ

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[第一章]バカは貧乏で学ぶ

家が経済的に苦しく、貧乏な家庭環境であること。一般的には、貧しい境遇に育つことはマイナスだと考えられていますね。資本主義社会では、未だに成功=経済的に豊かになることが大きな価値観です。でも、子供の時代や10代での貧乏は、ハングリー精神を鍛えるのには絶好のチャンスです。戦後の日本を作った世代は、皆、貧乏な境遇でした。貧乏だから親に頼らず必死で働き、早くから自立心を持つことができたのです。

松下電器の「松下幸之助」は実家が米相場で破産し、小学生の時に丁稚奉公に出されたのは有名な話ですが、それがなければその後の松下電器はありません。福岡でも、実家が貧乏だったおかげで成功した人は山ほどいます。

ダンパー等の空調機器メーカーで株式公開した「協立エアテック」の創業者・久野さんは、父親が事業失敗して家を売却。大学に行く金はなく、高卒後に海上自衛隊やトラック運転手を経て、協立エアテックの前身となる鉄工所を開業しました。

長崎チャンポンのチェーン店「リンガーハット」の米濱社長は、自身が小学3年の時に父の鮮魚卸が倒産。母が行商しながら家計を支えます。その後、米濱さんは大学受験に失敗しますが、浪人する金もないので兄と共にトンカツ屋を創業。のちにトンカツ屋は「浜勝」チェーンとなり、長崎チャンポンのチェーンでも成功します。

2000年に株式公開した福岡の不動産デベロッパー「ディックスクロキ」の黒木社長は’55年生まれの若さですが、宮崎の実家には小学校4年まで水道がなく、自分で井戸を掘って給水設備を作ったそうです。その後、中卒後に職業訓練校を経て大工を11年やり、工務店の営業を経て29歳で独立しています。

福岡の若手ITベンチャー「ベルズシステム」の小野寺社長は家庭が貧しく、アルバイトをしながら苦学して九大を卒業。その半年後にはネットビジネスで起業しますが、約2年間は仕事もほとんどなく、日雇い労働で生活をする日々を経験しています。

高速物流システムメーカー「第一施設工業」の篠原社長は中学生の時に父が死亡。進学校の受験にも友人仲間で唯一失敗し、家計を支えるために高校・大学とエレベーター取り付け修理のアルバイトをします。「兄弟を食わせるため」そのまま起業し、約20年間メーカーの下請けをした後、初の自社商品「クリフター」を開発。半導体のクリーンルーム等で続々と採用され、福岡では数少ないメカトロベンチャーに成長しています。

化粧品や健康食品の通販大手「ファンケル」の池森社長は9歳の時に父が事故死。5人兄弟の家は極貧になり、社会科の地図帳も買えない生活になります。中卒後はパン屋の住み込み店員の傍ら、夜間高校と柔道で睡眠時間は3時間の生活。短大中退後に15年間ガス会社で働き、37歳の時に仲間とコンビニを開業しますが、今度は3000万円の借金を抱えて倒産します。またも極貧に陥りますが、兄のクリーニング業を拡大させて、借金は2年で返済。’81年、妻の肌荒れにヒントを得て、無添加化粧品をスタートしました。

極め付きは「カレーココ壱番屋」の宗次会長。家が貧乏どころか、捨て子として孤児院で育ちます。3歳の時に実業家の養子になりますが、養父が競輪にのめり込んで破産、夜逃げ。4歳から屋台を引いた養母の手伝いをし、高卒後は不動産会社に就職します。その後、24歳で独立して不動産と喫茶店を夫婦で開業。妻が作った喫茶店のカレーが当たり、カレーココ壱番屋のチェーン展開に乗り出しています。

宗次さんは「破産後は電気も水道も止められ、4歳から井戸水を汲んでご飯を釜で炊いてました。そんな貧乏生活が高校迄。パワーの源はと聞かれたら、この時のハングリー体験ですね。頑張って働くことでは誰にも負けない。趣味も飲みにも行きません」。

長引く不況や倒産、リストラで、貧乏な家庭は増えています。しかし、それは次の時代に逞しく生きる、起業家を育てるには絶好のチャンスでもある。そう思いたいですね。

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