日本一の経営者PR動画「社長TV」で成功!解任!世界初の「ベルフェイス」で再び起業!中島一明

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旗手たちのアリア

フリーター、起業へ一直線

ディーノシステム社長 中島一明

起業家に憧れた若者は、高校を中退して社会に飛び出した。待ち受けていたのは失敗続きで借金まみれの過酷な現実だった。直情径行の若者は苦労を重ね、人の言葉を糧にする起業家に成長する。

(写真:丸毛 透)

2011年10月。福岡県と沖縄県を地盤に保険代理店を営むヒューマン&アソシエイツ代表取締役の生島秀一は、「ディーノシステム」という会社からの売り込み電話に戸惑っていた。

電話の主は、ある経営者の推薦で生島のインタビューを撮影し、自社が運営する「福岡の社長.tv」というウェブサイトに掲載したい、と申し込んできた。「推薦した人物とは誰か」と尋ねても、「相手の信用に関わる」という理由で教えてもらえない。生島は「なんとなく怪しい」と思いはしたが、動画の掲載費用は月額2万円程度と、それほど高くはない。「おかしいと思えば、その段階で断ればいい」。半信半疑で取材を受けることにした。

1時間のインタビューを10分程度に編集した動画がサイトに掲載されたのは2011年の年末。生島が驚くことになったのは、翌年の初めだ。ゴルフ場でクラブハウスの風呂に入っていると、偶然居合わせた客に、「おたく、社長.tvに出てなかった?」と声をかけられた。

「そんなに大勢の人が見ているサイトだったのか」。生島は社長.tvの意外な影響力に気づく。その後も同業他社や取引先から「インタビュー動画を見ましたよ」という反響が次々と寄せられたばかりか、動画を見たという沖縄県の女子学生がわざわざ入社面接を受けに来た。反響に驚いた生島は、社員が保険の営業ツールに使っているタブレットでもインタビュー動画を見られるようにして、会社案内の資料として活用することにした。

そんな生島の元に、ディーノシステム社長の中島一明が訪ねてきたのは2012年4月のことだ。色白で細面の青年は生島とは親子ほどにも年齢が離れていたが、社長.tvが中小企業の経営にもたらす効果を議論するうちに、すっかり意気投合する。

生島は、全国47都道府県に社長.tvを拡大しようとしていた中島を支援することを決めた。2012年夏からは沖縄県内で代理店契約を結び、「沖縄の社長.tv」の運営に携わっている。生島は「いったい誰が私の推薦者だったのか、いまだに教えてもらえない」と苦笑するが、たとえアポイントメントを獲得するための方便だったとしても、今となっては気にならない。

今、生島と同じような体験をする中小企業経営者が全国で増加している。ディーノシステムは東京都内のコールセンターから全国の中小企業に猛烈な勢いで取材依頼を申し込んでおり、毎月数百件のペースで新たな掲載企業を獲得している。2013年中に1万社、2015年までに3万社のインタビュー動画を全国各地の社長.tvに掲載する計画だ。

鍛え上げた体に細身のスーツを着こなし、27歳という若さで全国的なネットビジネスの立ち上げに成功した中島は、一見すると洗練されたネット起業家のように思える。しかし、つい5年前までは、思い込みが激しく、理想ばかりを追い求めがちな、どこにでもいる若者だった。

高校を1学期で中退

中島は1985年、父親の転勤先だった兵庫県尼崎市で生まれた。父親の中島正明は大手音響機器メーカーに勤務する会社員。正明は子供の頃の一明について「何事にも興味を示す一方で、熱しやすく冷めやすい傾向があった」と振り返る。

ある時は合気道を習っているかと思えば、いつの間にか拳法に関心が移り、気がつくと、より相手との接触が激しいキックボクシングを始めていた。他人に迷惑をかけなければいいと、正明が放任主義を貫いたことで、中島は自らの興味の赴くままに行動するという生来の傾向を強めていった。

中島が進学校として知られる福岡県立春日高校に入学して3カ月が過ぎた頃、そんな父親にとっても、思いがけない出来事が起こる。息子が突然、退学届を片手に相談にやってきたのだ。

当時、中島はベストセラーになった『金持ち父さん貧乏父さん』を読んで投資家に憧れるようになっていた。「デイトレーダーや起業家になれば、一生、他人に雇われることなく生きていける」。そう思うと、朝から夕方まで学校で授業を受けていることに耐えられなくなったのだという。

自分が抱いた焦燥感を教師にぶつけたところ、「おまえみたいな学生はこの学校にいても意味がない」と宣告された。1日も早く投資家になりたいと願うようになっていた中島は「俺だってこんな学校にいるほど暇じゃない」と言い返し、教師との信頼関係は完全に損なわれた。

当時、退学理由を両親に説明するために書き上げた作文には、率直な中島の性格がよく表れている。「世の中には雇うタイプの人間と雇われるタイプの人間しかいない。私は雇われるタイプではない。ほかの人が大学を卒業して23歳で社会に出るのに対して、私が今、15歳で働き始めたら、ほかの人より8年も早く実社会での経験を積める。雇うタイプの人間になろうとするのならば、どう考えてもそっちの方が有利だ」――。

望み通り、学校教育の退屈さからは逃れられたものの、15歳の少年がいきなり投資家や起業家になれるはずもない。高校を中退した中島は、知り合いの紹介で地元の測量会社で働き始めることになる。真夏にコンクリート杭を抱えて山に登ったり、冬場に腰まで水に浸りながら河川を測量したりする仕事は、アルバイトの経験さえなかった中島にとって、社会の厳しさを実感するには十分すぎるほどに過酷だった。

中島は今でも「測量の仕事がこれまでの人生で一番きつかった」と振り返る。2年ほど働いた後、半ば逃げ出すように会社を辞め、その後は通信サービスの訪問販売など様々なアルバイトを始めるようになった。

「そろそろ会社を作りたいな」と思うようになったのは、19歳になった頃だ。しかし、何から手をつければいいのか、さっぱり分からない。試しにソフトバンク社長の孫正義がどこかで講演したCDを買ってきて聞いてみたところ、孫は米国留学中に1日1件ずつ、必ず新たな発明・発見をすることを自らに課し、その1つである自動翻訳機のアイデアを売って起業の軍資金を稼いだという有名な逸話を知った。

「あんな天才でも若い頃にはそんなことをしていたのか」。中島は自分も孫と同じぐらいの努力をこなさなければ、とても起業家として成功できないと信じ込む。「孫社長が発明・発見に取り組んだのならば、自分はビジネスプランを1日1件ずつ考えることにしよう」。

ただし日本にいては刺激が少なく、誘惑も多くて集中できそうもなかった。中島は1人で静かに考える時間を持つために、海外を旅しながらビジネスプランを練ることを決意する。思い込んだら行動は速い。アルバイトで貯めた資金を手に、東南アジアから欧州を経て米国へと渡る半年間の旅に出た。

海外で過ごした持て余すほどの自由な時間は、中島が柔軟な発想や多角的な思考力を身につけるうえでかけがえのない財産になったという。旅先では昼間は現地の人々の行動を徹底的に観察し、夜になると宿に戻ってビジネスプランを練る日々を繰り返した。A4判の紙に1日1枚ずつ、休むことなく書きためたビジネスプランは、日本に戻る頃には200枚近くになった。

半年かけて海外を旅しながら、1日1枚ずつ、ビジネスプランを書き続けた

200万円を元手に21歳で起業

中島の中学時代の同級生で、最初に起業の思いを打ち明けられた徳永大樹は、その時の真剣な表情が今も忘れられないという。

「話がある」と言って徳永を呼び出した中島は、開口一番、「自分は会社を作りたい」と切り出した。それまで会社を興すということを考えたこともなく、戸惑う徳永に中島は、こうまくし立てた。

「自分たちがこれから働くとしても、今のままではフリーターを続ける可能性が高い。40歳や50歳になった時には、缶ビールを片手に、若い頃の思い出話にふけることになるんじゃないか。でも人生は1回しかない。せっかくなら楽しい方がいい。チャンスが残っている方に人生を賭けてみないか」

中島は徳永を巻き込み、21歳でディーノシステムを設立する。2人が国民生活金融公庫(現日本政策金融公庫)から無担保で借りてきた200万円を元手に最初に取りかかったのはなぜか、ホラー話を携帯電話向けの音声コンテンツとして配信するビジネスだった。

当時の中島は「音楽が1曲数百円で売れるなら、ホラー話だって夏の肝試しの時期に売れるはず」と信じて疑わなかった。だが、この事業は完全な失敗に終わる。本格的な音響手法を使って半年かけて完成させた作品を携帯電話各社に持ち込んだものの、「前例がない」という理由で全く相手にされなかった。

その後も2人は健康機器の在庫を地方の旅館などに流通させるネットサービスを立ち上げるなど、中島のビジネスプランを次々と実行に移していったが、いずれの事業も軌道に乗ることはなかった。元手の200万円はすぐに底を突き、中島は徳永らの給与を払うためにカードローンや消費者金融にも手を出し、借金が膨らんでいく。

会社設立から1年。周到な準備を重ね起業したつもりだったが、何をやってもうまくいかず、自分が食べていく稼ぎさえない。追い詰められ、悩み、考え込んだ。ここで、疑問が浮かぶ。「世の中の社長と呼ばれる人たちは、利益を出すために、どんな努力をしているのだろう」。どん底から中島は動き出す。経営者団体の会合などに顔を出し、地元の様々な企業の社長に直接、経営のノウハウを取材して回ることに活路を求めた。

1年半で100社を取材

幸運なことに、地元福岡の経済人は懐が深かった。多くの経営者は何の実績も持たない若者のアポイントメントを拒むことなく、インタビューでは自らの経営哲学を熱心に語ってくれた。中島はこの頃から、仏壇メーカーはせがわ会長の長谷川裕一やタマホーム会長兼社長の玉木康裕、第一交通産業社長の田中亮一郎ら、地元福岡を代表する経営者と知り合うようになる。中島は20代ならではの吸収力で、企業が利益を出すための仕組みや、営業の手法を理解していった。

「第一線で活躍する経営者に貴重な時間をもらってインタビューするのに、自分だけが学ぶのはもったいない」。中島はこう考えて、インタビューの模様をビデオカメラで撮影し、その動画を「社長.com」というサイトで配信することを思いつく。当初は自らの勉強内容を記録する目的だったが、1年半後には掲載社数が100社近くになり、複数の企業から、インタビュー動画を掲載してほしいという相談さえ舞い込むようになった。

ここに至って、中島は自らの勉強のために作ったサイトが、中小企業の広報活動を支援するサービスになることに気がつく。インタビューから撮影、編集まですべて自分で作業したおかげで、手間やコストをかけずに高品質の映像を製作するノウハウも身についていた。サイト名を「福岡の社長.tv」に改め、本格的な企業向けサービスとしてスタートさせたのは、2010年頃のことだ。

数多くの企業経営者と出会う中で、中島は中小企業が抱える課題にも気づくようになった。その1つが、情報発信力の低さ。地域には素晴らしい中小企業がたくさんあるのに、学生やメディアはもちろん、金融機関や地元企業でさえ、ほとんどその存在を知らない。起業家へと成長しつつあった中島は、ここに商機を感じ取った。

中島は今、社長.tvを中小企業のための経済団体のような存在に育てようとしている。サイト上だけでなく、中小企業の経営者同士が実際に交流できるイベントを催すことで、事業提携などのマッチングや人材採用の基盤になる企業間ネットワークの構築を目指している。

ただ、今のディーノシステムには急成長がはらむ危うさがある。2011年の夏頃まではアルバイトを含めても10人足らずだった従業員数が、現在は100人規模に急増した。中島は経営者として組織運営に注力するようになり、自らが取材に出かける機会は大幅に減っている。

早い段階からディーノシステムに出資し、中島を弟のようにかわいがる第一交通産業社長の田中は、中島のことを「根っからの人たらし」と言う。しかし、「本人がインタビューに出向かなくなったことを、快く思わない顧客だっているはず。それでも相手との信頼関係を維持できるか、これからが正念場だ」と忠告する。

数多くの若手経営者を支援するタマホーム会長兼社長の玉木は「同世代の起業家で中島がずばぬけて優れているわけではない」と言い、一段の飛躍には「人との出会いから学び続ける姿勢が必要だ」と指摘する。

何をやっても失敗続きだった若者が、商売抜きで始めた動画サイトを収益事業に転換できたのは、田中や玉木のような先輩経営者の理解と支援のおかげとも言える。地元福岡という地の利がなくとも、全国の中小企業に社長.tvのサービスが受け入れられるだろうか。

学校教育から抜け出して周囲の誰よりも早く社会に飛び込んだ中島の財産は、直情径行の行動力と、人並み以上の苦労だろう。これまでの体験を糧にして起業家として一段と飛躍できるか。本当の勝負は、これから始まる。

=敬称略(白石 武志)
中島 一明(なかじま・かずあき)
1985年 兵庫県尼崎市で生まれる
96年 米フィラデルフィアに短期留学
2001年 福岡県立春日高校を1年生の1学期で退学
03年 福岡県内の測量会社を退社。フリーターに
05年 半年間、海外を旅しながらビジネスプランを練る
07年 友人とディーノシステムを設立。社長に就任
10年 地元福岡の企業経営者のインタビューをまとめた「福岡の社長.tv」の運営を開始。掲載者社数は3年間で2000社を突破する

日経ビジネス2013年3月18日号 148~151ページより

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以下は創業期の2008年記事

『福岡発! 異色経歴の若手起業家(23歳)が仕掛ける中小企業向け新サービス“映像求人サイト”10社一斉公開へ』

西日本最大の社長動画配信コミュニティサイト「福岡の社長.com」http://j-president.netを運営する株式会社ディーノシステム(所在地:福岡市中央区、代表取締役:中島 一明)と、株式会社アド通信社の100%出資子会社である株式会社アド通QJ(所在地:福岡市中央区、代表取締役社長:野々村 良紀)が正式に業務提携し、求人サイト「Q-JiN どっとわーく Fukuoka」に“映像求人コーナー”を新設いたしましたので以下のとおりご報告いたします。

■サービスの背景
知名度や信頼感でどうしても大手に劣る中小企業向けに、従来のテキスト広告では伝えられなかった「社長の人柄」・「アットホームな職場環境」・「ビジョン」「熱いメッセージ」などを“動画”で発信することで、中小企業にもっと優秀な人材を供給しようという新しい媒体の求人サービスです。

動画制作にあたりインタビュアーを務めるのは、株式会社ディーノシステム代表取締役の中島 一明。
春日高校中退後15歳から土木業界に入り、その後キックボクサー、ダイビング、バイクで九州一周などの経験を経て、19歳当時に半年ほどかけて単独世界一周。
数十ヶ国を旅し、その際に新規ビジネスプランを約200枚作成。その中から一つを選び、21歳当時に同社を設立して現在に至るという異色の経歴を持ちます。
今回の映像求人企画を実現するために、約一年かけて「福岡の社長.com」サイトを無料で運営して体制を整えてきました。

■サービスの新規性 ここが違う!
月間46万アクセスを誇る福岡最大級の求人サイト「Q-JiN どっとわーく Fukuoka」の運営を引続き株式会社アド通QJが行い、株式会社ディーノシステムが動画制作及び動画配信サーバーを管理するという独自の業務提携を確立しています。
既にアクセスのあるどっとわーくサイトに求人動画を掲載したことで、2008年10月15日の公開直後から多数の応募があり、今後の展開に期待が高まっています。

動画の制作料金は2コース、いずれも税込で105,000円、157,500円という低料金に設定しました。
※取材・撮影・動画編集・求人ページ作成・掲載の全てを含む

九州最大のソフトバンクショップを展開する株式会社JNGなどを含め、既に10社以上に掲載いただいております。今年中に50社の掲載を達成し、中小企業を支援するための『映像求人』という新しい分野の確立を目指します。

■サービスの仕様■
サービス名:「Q-JiN どっとわーく Fukuoka」
運用開始日:2008年10月15日
開発・販売:株式会社ディーノシステム、株式会社アド通QJ

【株式会社ディーノシステム会社概要】
社名   : 株式会社ディーノシステム
創業   : 2007年3月
資本金  : 200万円
代表者  : 代表取締役 中島 一明
所在地  : 〒810-0044 福岡市中央区六本松2-6-6 FUNATSUビル2F
URL   : http://j-president.net/
TEL   : 092-738-0680
FAX   : 092-738-0681
E-mail  : info@d-nuo.co.jp
事業内容 : WEBサイトの企画、制作、及び運営事業
求人のための会社案内映像制作事業
商品プロモーション映像制作事業
営業戦略の企画コンサルティング事業
セミナー事業
代表ブログ: http://ameblo.jp/d-nuosystem/

【株式会社アド通QJ(アドツー キュージェイ)】
代表 : 代表取締役社長 野々村 良紀
資本金: 900万円
所在地: 〒810-0041 福岡市中央区大名1丁目14番45号 QizTENJINビル8F
TEL : 092-761-3975
FAX : 092-761-1215
E-mail: info@fukuoka.q-jin.ne.jp

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これは2014年

企業PRサイトとして日本最大の「社長tv」を40都道府県で展開。中小企業と人材を結ぶ地産地消求人プラットフォーム、企業トップ同士が出会える次世代型の企業ネットワーク構築を目指している。

 

中島一明社長

中島一明社長
生年月日:1975年9月7日
出 身 地:兵庫県尼崎市
最終学歴:福岡県立春日高等学校中退
尊敬する人:孫正義
座右の銘:脳みそは筋肉である

── 「社長tv」は地域に根差した日本最大の経営者ウェブTVだと伺いました。

中島 中小企業が継続してメッセージを発信できる地域メディアであり、中小企業と人材を結ぶ地産地消の求人プラットフォームとして、2008年に開局しました。業種や地域を超えて企業同士が出合える次世代型企業ネットワークを創りたいと思っています。

── 社長tvを始めた経緯は。

中島 高校を1年で中退して土木会社で働き始め、19歳で世界一周の旅をしながら事業計画書を1日1枚書き続け、200枚を書き上げたころに帰国。事業家を目指して21歳で独立しましたが、なかなかうまくいきませんでした。暗中模索の中で、世の経営者から経営のノウハウを学ぼうと取材を始めました。業界、規模を問わず数百の企業経営者を取材する中で、地域に根差した素晴らしい中小企業がたくさんあるのに、学生やメディア、金融機関や企業同士さえその存在を知らない。雇用、ビジネス創出、地域活性において、新たなインフラが不可欠ではないか。でも日本には真の企業インフラがないと。これが社長tvスタートの契機となりました。

── どれくらいのネットワークになりましたか。

中島 福岡を皮切りに、2年半前から代理店形式で全国展開を開始。長崎、熊本、宮崎と広げ、現在40都道府県別で社長tvの名前で展開しています。掲載企業数が5千社を突破した今は、上場企業も100社を数え、全国の知事の3分の1、全国立大学の学長も半数は網羅しています。社長tvでアピールしているのは、会社の理念や哲学など、それぞれの企業にとって不変のもの。第三者の視点でまとめた動画で、経営トップの“ありのまま”を伝えるので、ピーアール効果は抜群です。最近はオプション動画として社員を紹介する「社員tv」も作りました。営業や人事の担当者が会社の社長動画をメールで送付することができるので、非常に評判がいいです。

── 今後について。

中島 大ボラを吹くと(笑)、日本全国をネットワークした先は、このシステムを世界に広げ、日本の中小企業の情報発信をするだけでなく、海外でも現地語で読めるようにできればと願っています。

 

【会社データ】
ディーノシステム
設立:2007年3月
資本金:1億2107万円
従業員:80人
所在地:福岡市博多区

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これは2015年2月。解任される前

大切なことは”昭和のハードワーカーズ”から学んだ 博多の若手社長を直撃 抜粋元

2015年2月3日 17時00分 (2015年2月4日 17時03分 更新)

土木作業員から経営者へと成り上がった激アツの若社長が九州・福岡にいる――中島一明(なかじま かずあき)氏、29歳。日本最大の企業PRサイト『日本の社長.tv』の制作を行なう会社、株式会社ディーノシステムの代表だ。同サイトは全国の中小企業の社長に、2時間以上かけてじっくりインタビューをし、それを1本約7分間の動画にまとめるもの。2008年に九州・福岡の地方局として開設後、11年には『日本の社長.tv』として全国展開も開始。現在、掲載企業は42都道府県を超え、約6000社にも及ぶ。

福岡の普通の土木作業員から、全国的にもネットワークを広げるメディア運営会社のトップへと、いかにして上り詰めたのか。成功の一因を知るべく、本人を直撃した!

「私の座右の銘は『脳みそは筋肉である』です。これは、私が尊敬するソフトバンクの孫正義社長の言葉。脳みそは筋肉と同じで、鍛えれば鍛えるほど、伸びていく。ちぎれるぐらい考えれば、どんどん強くなる……という意味ですね」

インタビューの冒頭、落ち着いた口調でそう語る中島氏。その目の奥には、起伏の激しい彼の社会人生活で培った経験と自信が見え隠れする。

21歳という若さで同社を起業。中島氏の起業願望の萌芽は早く、中学生ごろから「雇われ人生で終わるのはイヤだ、早く社会に出て自分の力で何か興したい」と強く思っていたという。地元の進学校に入学するも、わずか3か月で中退。一日も早く起業家になるための決断だった……だが、起業に至る道のりは決して平坦ではなかった。

「起業家になると言っても、そんなにすぐになれるわけではありません。それに人生で1度は雇われて働く経験が必要だと思っていたので、中退後、まず測量会社に就職して、15~17歳の2年間、そこで働きました。15歳で入ったばかりのころは、丁稚奉公のように、アゴで使われる扱いをされましたよ。測量の仕事は、測るだけで楽そうに思っていたのですが、これがとんでもなかった(苦笑)。たとえば山の中にダムを作る場合には、まずは測らないと始められませんから、何も手つかずの原生林に、雑草を払ってかきわけて、一番初めに入って行くわけです。完全に鉄砲玉です。しかも現場で測っている間は、蚊に刺されても『1ミリも動くな!』と言われる。かなりハードな仕事でしたね。ただ、そのおかげで心身ともに社会人としての下地を作ることができましたし、世の中の土木作業員さんを、本当に偉いと思えるようになりました」

その後、約2年間に渡りネットワークビジネスの飛び込み営業、工場でひたすらオニギリを並べる仕事、引っ越し業者のアルバイト等々、さまざまな職業を経験。

延べ約4年間に渡るハードな下積み時代を経て、19歳となった中島氏は単身、世界1周の旅に出る。

「やはり起業するには世界を知ることが必要だと思ったんです。ただ、漫然と旅をしても、そこには学びがない。そこで、旅先で1日1本のビジネスプランを書くことを自分に課したんです。旅をしながら、ビジネスプランを練る毎日。本当に刺激的な日々でした」

帰国後、ついに念願の起業。しかし、いざ起業したものの、彼には主体となるようなビジネスがなかった。起業前に書き溜めた数百もの事業計画は、どれもうまくいかず。こんなはずではなかった……。途方に暮れる中島氏。そこで、成功している経営者は、自分と何が違うのだろうかと、地元・福岡の中小企業の経営者が集まる様々な会合や勉強会に顔を出し、彼らから「何か」を盗もうとした。

「これが、私の大きな転機になりました。中小企業の社長さんたちから学ぶべきことは本当に多かった。たしかにソフトバンクの孫社長や、京セラの稲盛和夫さんをはじめ、ビジネス本になるような経営者たちの話も勉強にもなりますし、励みにもなります。ただ、あまりに立派過ぎる。言い換えると現実感がない。ですが、中小企業の社長さん達の言葉は、泥臭く、とにかくリアルなんです」

地元の中小企業の経営者の多くは、一代で一国一城の主となった叩き上げ系の方が多かった。そんな酸いも甘いも知る”昭和のハードワーカーズ”に話を聴くうちに、この貴重な情報を独占しておくのはもったいないと考えた中島氏は、カメラを回しインタビュー動画をストックし始める。そう、これが、現在のビジネスのきっかけとなっているのである。

「最初は自分が勉強する目的だった中小企業の社長さんのインタビューでしたが、よくよく考えれば、これって日本全国の起業家が”本当に欲しい”リアルな話だったんです。これはビジネスになると思い、動画を公開したら見事、ヒット。もちろん、最初はノウハウも知らないし、スタッフも少なかったので、私を含めてみんな死に物狂いで働きましたよ」

『脳みそは筋肉である』の言葉通り、絶えず思考し、そして汗を流し続けてきた中島氏。今後、同社は海外展開も視野に入れたビジネス展開をしていく予定だという。福岡から日本全国、そして世界へと、ずっと先を見据え、その挑戦はまだまだ続く。

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2015年08月20日 15:29

不可解な創業者の退任の裏側は?(前)

(株)ディーノシステム

 企業PRサイト『社長.tv』を制作・展開する(株)ディーノシステム。同社の創業者で代表取締役であった中島一明氏が、2015年4月29日に退任した。突然の中島前代表の退任の理由が不明瞭で、同社の取引関連を含めた関係者から「なぜ、中島氏が退任したのか?」との問い合わせが相次いだ。取材を進めるなかで、中島前代表の退任は、現代表の山田文彦氏が絡んでいる可能性が高いという話が、複数の関係者から入ってきた。同社の中島前代表の不可解な退任についてレポートする。

経営者動画のパイオニア

office_ousetusitu (株)ディーノシステムは、中島一明氏が2007年に設立したIT制作・運営会社である。中島氏は高校を中退後、土木関係の仕事や飛び込みの営業職などを経て、19歳のときに単身で世界一周の旅へ出た。その旅のなかで、200の特許を取ったソフトバンクの孫正義社長にならって200もの起業プランを作成した。その後日本に戻り、21歳のとき3人で起業した。設立当初は、『立体的な音で聞こえる怖い話』を携帯電話のコンテンツ販売をすることを事業化することを目指した。提携電話各社にその企画を持ち込んだが、実績がないという理由で頓挫。事業資金が底を尽きかけたが、前進し続け、各方面で活躍する地元・福岡の経営者に会って話を聞くことに専念した。

その活動のなかで各経営者の話を、映像に残してコンテンツ化、そして経営者の映像をネットで見ることができる、効率的な新規開拓のきっかけづくりというイメージで、08年1月に『福岡の社長.com』を作り上げ開設した。中島氏のビジネスモデルである経営者のインタビュー集をまとめた動画サイトは、新鮮な切り口として評判を呼んだ。また、著名な経営者ではなく、地方の中小企業の経営者を全面に出してのコンテンツづくりは、出演者および動画のユーザーから高い評価を得た。

『次世代型企業ネットワーク』というキーワードでのコンテンツの構築を目指した中島氏。「若者に、地域に根ざした中小企業を知ってもらいたい」と過去、弊社のインタビューで中島氏は述べている。『福岡の社長.com』には、中小企業と人材を結ぶ地消地産のプラットホームという中島氏の明確なビジョンがあった。

中島氏の秀逸なビジネスモデルと事業推進への情熱により、サイトの開設1年後の09年2月には、動画に出演する企業および経営者は100を超えた。それを機に、『福岡の社長.tv』に改名した。その後、翌10年4月には200を突破し、11年10月に全国展開の第1歩として『熊本の社長.tv』を開設した。同年11月に東京と長崎、12月には佐賀、12年1月山口、2月に大分と宮崎に、それぞれ『社長.tv』を開設した。それら開設のスピード感は圧巻で、12年5月時点で40もの都道府県で『社長.tv』を展開した。

13年1月には同社は5周年を迎え、『社長.tv』に出演する企業および経営者は2,000を超えた。そして14年4月に5,000を超えて、経営者の動画のパイオニアとして同社と中島氏はその名を轟かせ、業界内外から大きな注目を集めることとなった。

『社長.tv』は動画コンテンツにおけるブランドとなり、その躍進の影響でさまざまな経営者を対象とした動画サイトが全国各地に次々と立ち上がっていった。それでも『社長.tv』は、どこの動画サイトより圧倒的に掲載数が多い。同社の掲載数5,000に追随する同業他社は皆無だ。それが可能となったのは、中島氏は経営者の動画サイトのパイオニアであり、目指す目標と理念が明確であったことに尽きる。ただし、通信機器の発展とともに、『YouTube』をはじめ、さまざまなPRの動画が拡大し続け、動画サイト市場においては競合が激化している。同社も厳しい競争にさらされている状況下であったが、中島氏を支持する経営者は数多く存在した。

中島氏“解任”が事実

touki 経営者動画サイトのパイオニア的な存在であった中島氏は、15年4月29日に同社取締役を退任した。だが、法人登記簿を確認すると、取締役を解任となっている。後任には、13年11月30日に一度取締役を退任した山田文彦氏が、同じ15年4月29日に同社の新たな代表取締役に就任している。中島氏が解任に至った経緯をリサーチするために、中島氏の足取りを追ったが、その後の消息は不明。現代表の山田氏に、「なぜ中島氏は解任させられたのか」という旨の質問状を送っているが、現時点での回答はない。

取材を進めていくなかで聞いた、同社の取引関係にある企業の幹部の話によると、「前の社長であった中島一明氏の解任は事実だ。14年8月に資本金が1億2,017万円から2億606万円に増資されている。そのときに、資金のサポートを行ったのが愛知県に本社を置く(株)イクサム。パチンコ店舗運営を中心に幅広くビジネスを展開しているという。当時、ディーノシステムは全国展開を推進するなかで、資金的にタイトな状態であったという。金融機関からの融資も限界であったと聞く。その状況を打破するために、イクサムに資金調達を打診した。イクサム側は、中島氏が保有していたディーノシステムの株式の譲渡を条件とした。本意ではなかったが、会社存続のために中島氏はその提案を受け入れて、イクサム側に株式を譲渡し、オーナーから雇われ社長となった。そのイクサムを紹介したのは、ディーノシステムのとある販売代理店で、その代理店を開拓したのが現代表の山田氏であった。山田氏は、11年11月に(株)ベンチャーリンク(12年3月破綻)から転身し、社外取締役に就任。12年8月に取締役に就任した。ディーノシステムの全国展開を推進するための販売代理店開拓の職責を担っていたが、その能力に対し懐疑的であったため、13年11月に辞任した。その山田氏を復帰させたのがイクサムで、山田氏の取締役復帰を拒否した中島氏が、大株主のイクサムから解任させられたのである」という。

つまり、現代表の山田氏が同社の現在の大株主に接近し、中島氏を追放させて自身が代表に就任するという“乗っ取り”を行ったこととなる。
今後の同社の事業展開については、不明瞭である。『社長.tv』に出演している経営者らは、「中島氏の代表辞任は、寝耳に水であった。大株主の権限の範ちゅうだからやむを得ないが、山田氏で経営をやっていけるのか不安である」と今後の動向を不安視する。創業者の中島氏とともに働いてきたメンバーも、ほとんど同社を去った。中島氏が築いてきた事業を、山田氏が誠実にマネジメントして発展させることができるかは、不透明である。経営者動画サイトのパイオニア企業は、今、岐路に立たされている。(了)
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そして、再起動。

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