ラーメンが天職!独立起業で大成功!世界の「一風堂」創業者・河原茂美の「罪と罰」

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◆現代の肖像。「博多一風堂」店主。河原成美
圧巻です。「アエラ」2008年7/28号を写経してみました。※取材・文章はノンフィクション作家の岩切徹さん

◆若き日の罪と起死回生の「麺ロード」   講演のつづきはコチラ
1985年に誕生し、巨大ラーメンブームのさきがけとなった「博多一風堂」。新メニュー・新業態を繰り出し、今春にはニューヨーク進出を果たした。店主・河原成美は今日も舞台という名の舞台に立ち続ける。

現代に西鶴がいたらきっと河原成美のことを書こうと思っただろう。日本近世の商人道を描いた「日本永代蔵」の作家だ。題は「博多にかくれなきラーメン屋」か。河原の半生55年はそれこそ白濁したスープの如し。自分の才覚と努力で身を立てていこうと思っている若者には、またとない滋養と教訓を与えてくれるはずである。

今年(2008年)の3月、河原は「博多一風堂ニューヨーク店」をオープンした。4ヶ月後の現在も店の前には連日長蛇の列が並び、ラーメン業界のみならず日本の飲食業界全体から見ても画期的な成功を収めつつある。

「開きましたね。風穴が」とラーメン界の若きカリスマ・中村栄利(31)は興奮気味に語り、地元福岡からは母の「あの子がここまで成功するとは思わんかった」、元刑事・野口美明の「俺は間違っとらんかった」という声も聞こえてくる。そのオープン時の実況から物語を始めてもいいのだが、ここは順当に年代を追ってみたい。その方が話が早いと思う。

「にあがりもんだったんですよ、ぼく」

福岡から城島町(久留米市)に向かう途中、クルマを運転している河原が前を向いたままいった。城島は彼の生まれ故郷だ。にあがりもんとはその近辺の方言でお調子者のこと。人気者だった。

小学校5年のとき福岡に引っ越してからもにあがりもんを通し、中学生になると漫画も描くようになり、人気はさらに急上昇。4コマやストーリーものを深夜まで描いて翌日友達に見せるのが唯一の楽しみだった。将来漫画家になろうと思った。

ところが中3のときのある日、家に帰ると道具から作品まですべて消えていた。母を問い詰めると「勉強せんけん、捨てた」という。焼却場に行くとGペンや漫画本の燃えカスがくすぶっていた。

「あれは両親の大間違いでしたね」

久留米市内にクルマが入ったところで河原がいった。しばらくしてハンドルを切りながら、もう一度彼は繰り返した。

「あれは大間違いだった」

◆婚約者の目の前で警察に連行された過去

河原は男4人兄弟の末っ子だ。父・大輔は福岡の名門・修猷館の美術教師。次々に教え子を芸大に入れる名物教師だった。兄弟は学業も優秀で長男は後に日航のパイロット、次男は新聞記者になり、三男は芸大入学。ところが四男のところでその流れがパタッと止まった。母・千代は語る。

「末っ子だから甘やかして育てた。乳離れも一番遅かった。財産はないけど、せめて子どもたちには大学に行かせてあげたいと主人といつも話していたんですが、123は優秀で4がなかなか」

高校でも河原はにあがりもんだった。今度は演劇にのめり込み、教頭の中野先生や車先生の物真似をしては周りを笑わせていた。受けた美大も学科で落ち、上京。前進座の養成所にもぐり込み、昼間は美術の予備校に通ったが、結局1年半で帰福。九州産業大学に入り、地元劇団に参加したり、飲食のバイトをしているうちに卒業し、ユニード(福岡本社のスーパー)に就職した。母が語る。

「成美には付き合ってる人がおったんです。向こうのお母さんは成美を家にも上げてくれんかったらしいのですが、それでも結婚したいというので、商売をやりたいといってたのをむりやり就職させました」

結婚式を数日後に控えて婚約者とドライブしていたときだった。パトカーが現れ、停車を命じた。河原は彼女に「ごめん」といって、そのまま警察に連行された。担当刑事だった野口が語る。

「鼻水垂らして、一生分涙が出たんじゃないかと思うほど泣きじゃくっとった。これは立ち直るなと思った。職場の上層には成美のお父さんの教え子がいっぱいいたから、「早よ帰さんか」と圧力がすごかった。でもここで帰したらこの子は終わりじゃと思った。成美の泣き声が「助けてくれー」と叫んでるように聞こえたんですわ」

父が険しい顔をして警察に野口を訪ねてきた。野口は彼に調書を見せた。そこには父の知らない息子の姿がびっしり綴られていた。

-漫画を焼かれて自分の可能性は閉ざされたと思った。高校も大学も就職も父と兄のコネ、結局自分でしたことといったら中途半端な漫画と芝居だけ。何をやっても達成感がなかった。大学生のときソフトボールをしていたらボールが民家に飛び込んだ。塀を越えて拾いに行くと縁側に財布が置いてあり、お札を抜いたら長年溜まりに溜まっていたうっ屈が消えた。以来、空き巣狙いを繰り返した。歯止めが利かず自分でも困っていた。しかしその一瞬だけは達成感に浸ることができた・・・。

父は涙をポロポロ流し、「知らんかったあ」と呻いた。そして「何百人も教えてきたけどたった一人、自分の子どもを教育しきれんかった」といい、息子の身柄を野口に託した。

1ヶ月の拘留のあと河原は保釈。裁判で父は「私の責任です」と陳述し、判決に4年の執行猶予が付いた。保釈後も婚約者とはしばらく付き合ったが、長くは続かなかった。定年を目前にして父は翌年自ら修猷館を退職している。

「何かあるとここに帰って来るんですよ」

筑後川沿いにクルマを走らせながら河原がいった。城島は風の町だった。太い風が筑後平野を駆け抜けていた。「捕まった後はよく来ました。素っ裸になりましたからね。もう何もなかった」

河原25歳のときだ。西鶴なら「算盤もご破算なり」と書くところだろう。さあ、もう後がない青年は最初の「1」をどう弾いたのか。

地元劇団の東京公演に誘われていた彼は役者か商売か悩んだ末、きっぱり役者を捨て、博多駅前に5坪のレストランバー「アフター・ザ・レイン」を開店している。盆も正月もなし。泥酔して3時間寝たあと客の昼飯にハシゴで付き合い、夜も食って飲んで、吐いて飲んで、フロアで裸になっては往路のクロール復路の背泳ぎと裏表なしのサービス、パフォーマンスに店は連日沸いた。

◆スープ残した客追いかけ、教えを乞う

そして数年後ラーメン屋になると宣言。酒を交えず、客と真剣勝負したかったのだ。「長浜一番」で1年間修行したあと全国150店のラーメンを食べ歩き、一陣の風を吹かせたいと大名に10坪の「博多一風堂」を開店。スープを残した客がいると追いかけていき「どこが悪かったんでしょう」と教えを乞い、試行錯誤を重ねた。一昼夜つめにつめて取った豚骨スープに細い麺、そして当時の常識を覆す清潔でシックな店作りは女性客の心をとらえ、若者たちがつめかけた。風が吹いた。

「ラーメン界の端境期だったんですよ。80年代半ばは」
クルマを降り、生まれ育った家の近辺を歩きながら河原がいった。屋根の低い人家が肩をすぼめて並んでいた。「だから新参者のぼくがやったことがどんどん形になった」

一風堂の風が全国区になるのは新横浜ラーメン博物館に出店してからだ。岩岡洋志館長の熱意を意気に感じて出店したのが94年。01年に退店するまでの7年間は河原にとって実り豊かな歳月となる。この間、都内出店を果たし、「白丸元味」と「赤丸新味」の大ヒット商品も発表。TVチャンピオン「ラーメン職人選手権」で前人未踏の3連覇を達成したのもこの時代だ。

岩岡「チャレンジャーだなあと思った。負ければ自分の店のブランド価値も下がるわけですからね。ところが3連覇。あんな人は初めて見た」
野口「最高だったね、こだわりが。せっかく作ったスープを捨ててくさ。そこまでやるかいと思った。でもそれで優勝たい。私は何百人も取り調べたが、更生したのは2人だけでした。99,9%はまた捕まった。凄い男だよ、成美は。あいつの晴れ姿を見て自分の子どものことより嬉しかった」

当時河原は40代後半。彼の半生を折れ線グラフにすれば25歳の急落と前人未踏の高い山との対比が遠目にも一目瞭然だろう。

また、にあがりもん、漫画少年、役者、飲食業、ラーメン屋が一本のラインでつながっているのも見て取れるはず。いずれも彼の自己表現のすべなのだが、彼の場合、犯した罪も暗い自己顕示欲を満たす一種の表現だったから同根である。だから飲食業という新しい表現の場を得て0,1%の針の穴をくぐることができた。飲食業に救われたのだ。明るい人気者の自分がいれば暗くて弱い自分もいる。単純に見えるラインも近づいて見ると陰陽であざなわれた一本の縄だった。

50歳になってすぐの正月。河原は熱海で開かれたラーメン屋仲間の新年会に出席し、メンバーと「真鶴町立中川一政美術館」に立ち寄っている。同行していた「ちばき屋」の千葉憲二が語る。「ある書の前で立ち止まり、突然堰を切ったようにワンワン泣きだしたんですよ、彼が。普段から喜怒哀楽を隠さない人だから信頼もしてるんだけど、さすがに驚いた。そこに書いてあったのが「正念場」です」

後日、その書を観に真鶴まで行ってみた。なるほど、朱の入れようのない堂々とした拙さ。しかも「九十七翁」と添えてある。中川最晩年の揮毫だ。河原は図星をつかれたのだろう。正念場。彼もそれ一つで生き延びてきたのではなかったか。

何もかもが中途半端で、しかも捕まって出てきた男が世の中とサシで向きあおうとするとき、残された唯一の足場が正念場だった。面積は戸板一枚。「戸板一枚あれば俺は商売できる」は彼の口癖なのだが、それを舞台に見立てて裸で泳いだり、酒を浴びたり、それに物足りなくなって次に板の上に載せたのがラーメンという直球勝負の一杯「芸」だった。

戸板には他の機能もあった。芝居では死体を運ぶストレッチャ-にもなるし、お岩さんの戸板返しでお馴染みのあの世とこの世、あっちとこっちを反転させる蝶番にもなる。つまり戸板一枚あれば世界と切り結ぶことだってできる。その起死回生の一点が河原の正念場だった。そこに立てたからそれまでの中途半端は反転し、いずれも意味を帯びてきたといえる。ムダは何もなかった。

「捕まって運が良かったんですよ、ぼくは」

歩きながら河原がいう。「でも公にはなかなか話せなかった。苦しかった。50歳になるちょっと前です、講演で正直に話せたのは。自分なりに消化するのに25年かかった」

◆「店は舞台」役者で座長で興行師

商売人としての河原の評価は高い。5坪のバーから始めた飲食業も50歳の頃は二十数店舗、現在(2008年)は44店舗に成長している(2013年12月現在で国内外約80店・年商200億弱)。
「多店舗展開としては各店とも奇跡に近いぐらいクオリティが高い」と語るのはラーメンデータバンク社長の大崎裕史だ。「とくに接客サービス。飲食業界全体から見てもトップクラスです」

社員教育は河原がもっとも情熱を傾けている分野の一つだ。誕生日研修を毎月「ザ・リッツ・カールトン大阪」で開いたり、劇団四季の「キャッツ」を観せたり、厨房車で学校訪問したりと、ほとんど俳優修業といってもいい内容。「店は舞台」と言い切る河原の面目躍如である。また、彼のトータルバランスの良さを指摘する声も多い。

「商売人と職人のハイブリッド」と語るのは「中村屋」の中村栄利だ。「職人の話もビッグビジネスの話もするし、全体的数値が飛び抜けて高い。それに「若いもんには負けんぞー」とけしかけて実際風穴を開けていく実行力。そういった人間力に魅せられて多方面の多くの人が彼に付いて行っている。感動があるんですよ、あの人には」

河原を近くで見ているライターの元木哲三はこう語ってくれた。
「目の人。料理も店作りも物件探しも経営判断にしても、それが絵として浮かぶかどうかで決める。だから判断が速い。そして多重人格的。彼の頭の中では15人ぐらいが動き回り、会議をしたり。そのリーダーが商売人としての河原成美だと思う」

商売人・河原は多くのスタッフやキャラを率いる一座の座長なのだった。となると次は何を興行するかだ。女性が一人でも入れる店を作り、「赤丸」「白丸」によってラーメンの概念を進化させ、プライスリーダーでもあり、と常に業界に次のステージを提供し、最低だった業界イメージを底上げしてきたのが興行師・河原だった。

ぼくは彼は風船だと思う。役者とはストーリーで膨らむ風船だ。親のシナリオをご破算にし、空っぽになった彼はそこに自分が主人公の新しいストーリーを吹き込み、自分を膨らませていった。一度膨らんだところまで風船を膨らますのは簡単だが、それでは満足できないのがフイゴ式にあがりもん気質。「今度はここまでやる」と公言し、さらに膨らます。見得という手形を切って自分を追い込み、命がけで達成し、翌日けろりとした顔でみんなにストーリー物を見せた、あの漫画少年と同じ身振り。

◆NY店成功もステップ。「世界に麺文化を伝えたい」

膨らむ風船ほど萎むとシワクチャになる。そんなとき彼が帰ったのが城島だった。そこに吹いている風は過剰なだけにかえって真空の所在をほのめかしていた。真空を埋めようとする純粋なドラマ形式。そこが河原成美という風船の故郷だった。
「小さな町でしょ」

六五郎橋でカメラマンと合流。撮影が終わり、帰途についたクルマの中で河原がいった。「ココに来ると自分のサイズが確認できる。ここで俺は生まれたんだ。大したことないよなーと。でもどうせ大したことないのならもっと思い切りやってもいいんじゃないかと逆に力が湧いてくる」   21世紀に入り、世界に麺文化を伝えるという新しいストーリーの下、上海に上陸。現地企業との合弁だったために思う存分力が発揮できず、合弁解消。しかし風穴は開き、後続のラーメン屋が次々に大陸に渡っている。独資でニューヨークに100坪の店を出したのが2008年の3月。会社にとっても河原にとっても失敗の許されない正念場となった。
オープン前日にイーストビレッジの「一風堂NY店」に行くとイライラした顔で河原が店内を彷徨いていた。店長に聞くと「白丸」の味が今ひとつ納得行かないらしい。突然MOMAに行こうと誘われ、タクシーを飛ばした。ずっと彼はモネの大作「睡蓮」と向き合っていた。チャーシューにテリヤキのタレをかけることでイメージ通りの「白丸」が完成したのはオープン間際だ。夜のパーティでは一転、けろりとした顔の河原がこういった。
「やっと通りましたね、風が」

西鶴なら「水ならぬ風商売の達人」と書くのだろうか。その後の繁盛ぶりは冒頭に書いた通り。しかも7~8割の客が地元ニューヨーカーだという。ウォール街に近い立地だ。日々乱高下する折れ線グラフに振り回され、それなりに世の無常を感じている彼らと河原の一杯はどこかで響き合っているのだろう。風が吹いた。

その後、東京でも河原と会う機会があった。意気揚々としているかと思ったら、意外に彼はこんなことをいった。

「まだ足りない。まだまだ違う。いつもぼくは確信が持てなくて壊れてしまうまで次の何かを探してしまう。破滅型じゃないかと思うことがある」
父・大輔の話になった。06年に亡くなった父と最期まで突っ込んだ話ができなかったのが悔やまれるという。

「お互い照れてね」と河原。「一度退職のことを聞いたら「そらお前、しょうがねえなあと思ったよ」ぐらいで、核心に触れる話は何もできなかった」

ぼくは父が末っ子に何をいいたかったのか想像できるような気がする。こういいたかったのではないか。

「成美、お前がやってることが芸術なんだよ」

 

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◆河原さんに初めてあったのは1997年。私の主催する勉強会に講師で来てもらいました。その時が、生まれて初めての人前講演だったらしいです。が、私は気付かなかったですが、大失敗だっと。アガって。その時に、なんか犯罪を犯したみたいな事を話してました。が、何も気になりませんでした。ダイエー勤務時代に1回の横領=商品を悪友に横流し程度なんて。ところが、このアエラの記事・・・これは河原さん本人が親しい人に郵送で送って来たんですが、読んで驚きました。空き巣100回ですから。100回かよ!って。さらに、新たなパワーの源も知りました。上にも書いてるように、漫画家になる夢を親に焼かれ、美大に行って役者になる夢も挫折して帰郷。その後の学校も就職も親のコネ。仕方なく。一方、親は優秀な進学校の先生で、兄弟もパイロットや新聞記者とエリートばかり。自分だけがダメ人間という落ちこぼれ意識。何も達成感がない。それが空き巣でスカッとしたと。ストレス解消ですかね。ギャンブルや覚醒剤に溺れるようなもんか。そして逮捕。裁判で有罪。執行猶予はついたが。一部、実名で報道記事も出たそうです。普通の人間からすると、人生終わった。ですね。犯罪者の烙印を押されたわけですから。このあたりのことは河原さんと何回も話したんですが、実はこの事件が物凄く良かったと。清々したと。もう隠すものはない。開き直って生きるしかない。やり直すしかない。と、覚悟ができた。そして、役者の道を諦め、バーを開業することになった。が、それまでは学生時代も社会人サラリーマンも完全な失敗。この独立開業も失敗したら後がない。「正念場」で号泣したのは、創業時のことを思い出したからだそうです。そして、講演でも言ってますが、開業時に生まれて初めて目標設定をした。例えば「3年間は1日も休まない」「売上ゼロの日はつくらない」「30までに2店舗目を出す」「20代で年収500万円」「35歳までに天職に出逢う」など。そして計画と行動。やり遂げること・・・   いやーとにかく素晴らしい。人生も挫折も成功も経営も愛も勇気も夢もある・・・ ライブ講演のつづきはコチラ

 

■ライブのつづきは http://bit.ly/1O0Pr4Y
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■福岡2/11ベトナム起業家と雑談会 http://on.fb.me/1NOD5wH
■福岡2/13「社長TV」創業者がリベンジ!http://bit.ly/1PykZ3m
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