ソフトバンク孫正義・伝記①

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携帯電話とプロ野球「ソフトバンク」オーナーであり、日本一の大富豪。2014年秋には、2000年に出資していた中国のIT企業「アリババ」が株式公開し、20億円の出資株価は時価で8兆円に大化けした。2013年にはアメリカの携帯電話会社を買収し、海外含めたグループ年商は6兆6000億(2014年3月期)。小さな会社の事例はコチラ

私が初めて孫正義を知ったのは1982年頃。当時、リクルート社の子会社で求人広告の営業マンをやっていたが、当時の社名で「日本ソフトバンク」から常時、中途人材紹介の依頼票が来ていた。孫さんが創業まだ2,3年頃。当時のソフトバンクの本業は、パソコンソフトの卸売業。副業でパソコン雑誌を出版していた。年商100億とか200億か。会長に元セコムの大森さんという人をスカウトし、自身は社長に。孫さんはまだ20代だったから、経営はベテランに任せるんだと思っていたが、重い肝臓病で余命宣告もされ、死も覚悟。10代の頃から大きな夢を抱き、確実に実現していたから、病院で何度も絶望号泣したらしい。奇跡の復活を経て社業に戻り、世界最大のコンピューター展示会会社のジフデービスを買収したり、テレビ朝日の株式を買いまして買収騒動もあった。1996年からYahoo!ジャパンを創業。2001年からインターネット接続のYahoo!BBも開始し、インターネット事業を本格化。2000年には中国のアリババに出資。2006年に携帯電話のボーダフォンジャパンを買収。この当時のソフトバンクは年商1兆円で資産2兆円でしたが、ボーダフォンの買収金額も2兆円弱。そのために借金も2兆円弱。つまり、自分の2倍もの会社を全部借金して買収したわけで、大変なバクチですね。結果は1年で大幅黒字転換させ、年商もいっきに3兆円弱に。さらに2013年の米国携帯会社を3兆円で買収し、連結年商は6兆円を超えたわけです。他の事業も合わせて2015年3月連結決算は年商8兆円、営業利益は1兆円と。まーなんかわけわかりませんが、ソフトバンクは買収に買収を重ね、さらにベンチャーへの出資でYahoo!やアリババでも当てまくり、日本一の資産家になったんですね。

 

その原点は何か?サッカーのサガン鳥栖がある佐賀県鳥栖市の鳥栖駅そばにあった在日朝鮮人部落に生まれ、極貧の環境と在日差別に育ち、15才の時に「竜馬がゆく」で目覚め、自分も脱藩=米国留学を決意し、渡米前に将来を考えまくる。その猛勉の最中、日本マクドナルドを創業した藤田田の本「ユダヤの商法」に感銘を受け、夏休みで帰国してた高校1年16歳の時、どうしても藤田田に会いたいと何度も電話するが断られる。本人につないでくれない。まあ、当たり前ですね。ついには福岡から飛行機に乗って飛込みで会社へ訪問。その時の様子が本人の口から話されていた貴重な記事を発見。以下に転載します。ユニクロ柳井さんとの対談です。

 

・・・・・・・・・・・・

 

柳井 日本にマクドナルドを持ってきた藤田田さんもアウトサイダー。もともとはハンドバッグやダイヤモンドの輸入をしていたのですが、レイ・クロックと会って、飲食業に参入した。業界のなかにいるとなかなかベンチャー企業を興すことはできにくいのではないでしょうか。

 

 藤田さんといえば私にはいくつもの思い出があります。私は藤田さんが書いた『ユダヤの商法』(藤田田著)を通して、マクドナルドとレイ・クロックがいかに優れているかを知ったのですから。まだ久留米にいた頃ですから高校生で、アメリカへ留学する前のことでした。『ユダヤの商法』が出た昭和40年代後半、日本の小売店や飲食業はまだ産業とはいえなかった。デパートやスーパーマーケットは「科学的な」経営に移りつつあったけれど、小売店、飲食業は独立した店舗がそれぞれの町にあっただけ。そんな時代にマクドナルドの経営戦略を知って非常に興味を持ちました。

 

柳井 僕もその本は読みました。文章に線を引いて何度も何度も読み返したのを覚えている。『ユダヤの商法』は著者に教養があって、しかもエンターテイナーでないと書けない本です。藤田さんならではの本です。

 

 もうひとつ、その本から知ったのはノウハウが金になるということ。日本の場合、ノウハウは「タダ」と思われがちですが、経営ノウハウは権利であり、お金がもらえる対象だと書いてあった。なるほどと感心したのを覚えている。そして、藤田さんは日本に移植してきたマクドナルドのシステムをすべてレイ・クロックさんから教わったという。原型をつくったレイ・クロックさんはどんな人だろうと想像しました。

 

――そして、孫さんは藤田さんに面会を求める。

 

 はい。16歳で高校を中退してアメリカへ行ったのですが、夏休みで日本に戻ったときにどうしても藤田さんに会いたいと思った。久留米から毎日毎日、藤田さんの秘書に電話したんですよ。

 

柳井 それは藤田さんも参ったでしょうね。ねえ。

 

 はい、確かに。それで、毎日、電話していたんだけれど、当時、市外電話の料金はものすごく高かった。まだ、当社が電話事業に参入していない頃でしたし(笑)。電話をかけるより、直接、会いに行ってやろうと、アポイントも取らずに飛行機に乗ったんです。羽田空港に着いて、そこから藤田さんの秘書に連絡しました。

 

「私は藤田さんの本を読んで感激しました。ぜひ、一度、お目にかかりたい。しかし、藤田さんがお忙しいことは重々、承知しています。顔を見るだけでいいんです。3分間、社長室の中へ入れてくれればそれでいい。私はそばに立って、藤田さんの顔を眺めています。目も合わさない、話もしないということなら藤田さんのお邪魔にはならないんじゃないでしょうか……」

 

――それでどうなったのでしょう?

 

 秘書の方に言いました。私が話した通りのメモを作って、それを藤田さんに渡してくれないか、と。そのメモを見て、それでも藤田さんが「会う時間はない」と言うのなら、私は帰ります。ただし、秘書のあなたが判断しないでください、と。

それで先ほど言った内容をメモしてもらい、電話口で読み上げてもらって、てにをはの間違いを直して(笑)。そうしたら、よし、15分だけ会おうということになったんです。

 

柳井 そこでコンピュータを勉強しろ、と。

 

 ええ、これからはコンピュータビジネスの時代だ。オレがおまえの年齢だったら、コンピュータをやるとおっしゃっていた。

 

※以上は雑誌プレジデントの記事より http://president.jp/articles/-/7419?page=2

 

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この孫さん16歳の時は1973年。昭和48年で、まだアップルも創業前。欧米や日本の大企業には大型コンピューターがあったが、個人用のパソコンはない時代。アップルが初のパソコンを出したのは1976年。マイクロソフトのビル・ゲイツが創業したのが1976年。だから、1973年当時に、これからはコンピューターだ!と聞いても、大半の人にはピンとこなかったでしょう。事実、孫さんが「デジタル情報革命に命を賭ける!」と決めたのは、この3年後の1976年19才の時。雑誌でインテルの小さなマイコンチップの写真を見て、その姿と将来性に惚れ込んだと。この時、3年前に言われた藤田さんの助言とも一致し、コンピューター業界で勝負すると決めたんでしょう。実際にはすでに敵だらけだった大型コンピューターではなく、これからだったパソコン分野。しかも、ハードやソフトの開発ではなく、流通でしたね。パソコンのハードはアップルやIBM、ソフトはマイクロソフトなどの天才や巨人がいて勝てない。その流通、卸なら敵が少ない。さらに、パソコンのソフト専門商社はゼロ。孫さんはそこに一点集中し、ソフト開発で当時日本一のハドソンの独占販売権を取得。さらに販売先で当時日本二位だった家電量販店・上新電機の創業者に出会い、上新電機のソフト販売の仕入れを全面的に任される。日本初のパソコンソフト商社・日本ソフトバンクの創業だ。これが1981年。孫さん24才の時。私、栢野がリクルート社に転職したのが1982年。社内の求人票で日本ソフトバンクのことを知り、そんな急成長の会社があるんだと。でも、当時の年商は30億とかそんなもん。チラッと知ってるよ。程度でした。その1年後か2年後、秋葉原にある日本出版センターという3行の求人広告で飛込み営業。聞けばソフトの商社をやるという。・・・またあとで追記

 

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