「人を動かす」カーネギーの人生

この記事は5分で読めます

小さな会社の事例はコチラ

★デール・カーネギー(鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーとは別人)

永遠のロングセラー「人を動かす」「道は拓ける」著者。1888年、アメリカ ミズーリ州に生まれる。州立学芸大学を卒業後、雑誌記者、俳優、セールスパーソン等様々な職業を経て、1912年ニューヨーク州マンハッタンのYMCAで話し方教室「デール・カーネギー・コース」を開業、やがてデール・カーネギー協会を設立。1936年にHow to Win Friends and Influence People(邦題「人を動かす」)が出版される。一躍、全米でのベストセラーとなり、人間関係の先覚者として名声を博す。1955年、66歳で死去。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

名著「人を動かす]「道は開ける」が世界で3000万部は出ているか。1936年の出版なのに、80年以上経った今でも売れている。まさにロングセラーとはこのことだ。自己啓発の元祖的な存在。有名なのは人間関係ノウハウ「人を動かす」の方で、次に出た悩みの解決法「道は開ける」は難解。私の個人的見解では。最後まで読めなかった。何回かチャレンジたが、いつも途中で止まる。ところが、ある時、「道は開ける」の最初にある「序・本書の生い立ち」を読んで心が踊った。よくある「はじめに」とか、どうせなんか軽いまとめみたいなもんだろうと、飛ばして読んでなかった。長いが、いかにその生い立ちの一部をそのまま抜粋紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆「道は開ける」序・本書の生い立ち

 

1909年、私はニューヨークで最も不幸な青年のひとりだった。私はトラックの販売を仕事にしながら、トラックの運転も知らなかった。私は自分の仕事を軽蔑していた。いまだに思い出すのは、安い賃貸部屋に吊していたネクタイである。朝、ネクタイを取ろうとして手を伸ばすと、ゴキブリが四方八方へ逃げ出した。私は卑屈な気持ちで、やはりゴキブリの巣となっている不潔な安食堂で食事をするしかなかった。

 

私は毎晩、偏頭痛=失望・悩み・反抗心に起因する苦痛を抱え、孤独な部屋へ戻ってきた。学生時代に抱いていた夢が悪夢と化してしまったからだ。これが人生だったのか?・・・・未来に何の希望もない・・これが人生のすべてなのだろうか?

 

どう考えてみても、自分の軽蔑する仕事を捨てて益になりこそすれ、損をするはずがなかった。金儲けには興味なかったが、人生を豊かに味わうことには興味があった。端的に言えば、私は重大な岐路=たいていの青年達が人生への門出に際して直面する決断のとき=に立っていた。

 

私は決断した。そして、この決断によって私の未来は一変したのである。おかげで残りの人生は実に楽しく過ごしており、夢想だにしなかったほど恵まれた。

 

私の決断はこうだった。まず、嫌気のさした仕事を辞める。もともと教師を志していたのだ。夜間学校の成人クラスを教えながら、暮らせばよいでないか。そうすれば昼間は自由に本を読んだり、講義の準備をしたり、小説や短編を書いたりできるだろう。私の望みは「書くために生き、生きるために書くこと」なのだ。

 

夜間の成人クラスではどんな課目を教えようか?私は自分が受けた授業を思い起こし、あれこれと検討しているうちに、自分が学んだものの中で、話し方訓練が仕事の上で何よりも役立ったことに気づいた。なぜか?この訓練が私の臆病心と自信不足を吹き飛ばし、他人と接する勇気と自信を与えてくれたからだった。また、人前で自分の意見を口にできる人には、自然と統率力が備わってゆくことも明らかだった。

 

私はコロンビア大学とニューヨーク大学の夜間講座にあった「話し方教室」の講師を志願したが断られた。そのときのがっかりしたことといったら・・が、今となると断られて良かった。おかげでYMCAの夜間で教えることになったからだ。

 

ここに来る受講生達は、修了証書や社会的な名声ではなく、自分たちの問題を解決するため=彼らは仕事の場でビクビクせずに自分の意見を述べたい、セールスマン達は手強いお客の前でも、少しもためらわずに訪問できる度胸をつけたかった。冷静さと自信こそ、彼らの願いだった。彼らの求めたのは立身出世だった。家族のためにももっと稼ぎたいと思っていた。また、彼らは授業料を分割払いにしていた=期待しただけの結果が得られなけれ授業料を払わなかったし、私の方も月給制ではなく、歩合給であったから、食うためには実用的にならざるを得なかった。

 

だから、私は受講生達の意欲を高める必要に迫られていた。毎回の授業に新鮮さを盛り込み、つづけて受講したいという気持ちにさせなければならなかった。

 

やりがいのある仕事になった。目を見張ったのは、ここに来たビジネスマン達が実に早く自信をつけ、短時間のうちに昇進し、昇給していくことだった。クラスは思ってもみなかったほどの大成功を収めた。かつて私に一晩5ドルの給料さえ払おうとしなかったYMCAが、3シーズンたたないうちに30ドルの歩合をくれるようになった。

 

当初のうち、私は話し方についてだけ教えていた。けれども、私は数年のうちに、ここの受講生たちにとってもう一つ必要なのは友人の作り方であり、他人に影響を与える能力であることに気づいた。人間関係についての適当なテキストがなかったので、私は自分で創った。創ったと言っても、普通に執筆したのではない。受講生達の経験から枝が伸び、開花したものだった。私はそのテキストを「友人のつくり方、他人を動かす法」:日本名「人を動かす」と名付けた。

 

ほかにも4冊のテキスト本を書いてはいたが誰も知らず、まさかあれほど売れるとは思わなかった(現在までに全世界で数千万部?)。

 

年が経つにつれてわかってきたことだが、これらの受講生達にとって、もう一つの重大問題は「悩み」であった。受講生の大部分が問題を抱えていた。言うまでもなく、私に必要なものは、悩みを解決するテキストだった。そこで私の探索が始まった。ニューヨークの大きな図書館に行くと、驚いたことに、「回虫」の項目には189種類の本があったが、「悩み」の索引本は22冊しかなかった。

 

悩みごとは人間の直面する重大問題の一つだが、どこの高校や大学でも「悩みの解決法」についての講義は聴いたこともない。その結果はどうか?我が国の病院の半分以上のベッドが、神経症や情緒障害の患者で占められることになるのだ。
私は「悩み」の22冊全部と、他にも本を入手して読んだが、私のクラスで使えそうなものは1冊もなかった。そこで私は自分で書こうと決意した。

私は7年前から本書の執筆準備にとりかかった。どんなふうに?まず、古今の先哲たちが悩みについて語ったものを読むことだった。そして、孔子からチャーチルまでに到る古今東西の伝記数百編を読破した。同時に各界の有名人にインタビューを重ねた。しかし、これはほんの序の口にすぎない。

 

私は、インタビューや読書よりもはるかに有意義な試みを実践した。5年のあいだ、悩みを克服するため、私自身の成人クラスという実験室で研究をつづけたのである。私の知る限りでは、これこそ世界に例のない最初にして唯一の実験室であった。悩みの解消法に関して、受講生たちにいくつかの原則を与えてから、これらの原則を実生活の中で応用してもらい、得られた結果をクラスで話してもらったのである。一部の人達は、自分が過去に用いた手段について話してくれた。

 

このような経験を通じて、私はこの地球上のだれよりも数多く、「私はどのようにして悩みを克服したか」という話に耳を傾けてきたと自負している。さらに、他の悩み克服の体験談にも数多く目を通した。全世界からの体験談である。

 

従って、本書は象牙の塔から生まれたものではない。まして、どうすれば悩みを克服できるかについて教える学術書でもない。私としては、ありとあらゆる人々によって悩みがどのように克服されてきたかについて、豊富な材料を駆使しながらも簡潔な実証報告を書こうと努力した

 

・・・・・・・・・・・・

 

どうでしょう?ここには書いてないですが、カーネギーは多くの転職をしています。最初は通信教育の教材をアナログで販売、次は缶詰肉の販売。その販売ではそこそこの成功を納めたが、夢だった俳優を目指してニューヨークへ。俳優養成学校を経て、サーカス系・旅芸人に所属するも売れない。そして仕方なく、冒頭の中古トラック営業マンをやっていたそうです。実際にYMCAで話し方教室の講師をはじめたのは1912年、24才ですね。講師として成功したのは、単に発声練習とか話の組み立て方だけでなく、営業マンや俳優の経験があったからです。話し方=当然、相手があってのことで、話す相手の心を動かして売れるし、笑いも感動も得られる。営業=物やサービスを売る=相手からお金をもらうこと。この世は資本主義社会。生きるのに必要な衣食住のモノやサービスを手に入れるのに、お金は必須ですね。できれば失いたくない。払うにしても、効率よく使いたい。命の次に大事なお金は無駄にしたくない。ですから、営業で相手からお金をいただくことは、実は至難の技ですね。モノを売る=買っていただく=多くのライバルの中から選ばれないと買っていただけないですから。実際、営業マン=話がうまい人は多いですね。話し方教室に通った経験のある人は少ないでしょうが、実は営業や販売の仕事=毎時間が顧客やライバルとの真剣勝負ですね。俳優も同じ。観客を感動させねばお駄賃はいただけない。カーネギーの弟子の一人にフランクベドガーという生命保険の営業マンがいますが、彼の本に、カーネギーの話し方教室に初めて行った時の逸話があります。「彼は指導中、興奮してイスを叩きつけ、壊してしまった」と。まさにこれは俳優経験ですね。俳優としては成功しなかったですが、その経験は充分活きた。何事も、人生に無駄はないですね。

 

あと、「へ~!」と思った逸話をいくつか。

 

・名前を改名

wikiによると、デールカーネギー=Carnegie:1922年頃までは「Carnagey」。改名してるんですね。表記を。

これは当時、鉄鋼王として大成功していたアンドリュー・カーネギーをマネた?。たぶん。意図的に。虎の威を借るなんとかですね。姑息ですが、売名行為の一環ですね。正当な?私はこういうのは嫌いですが、売るためには、世に出るためにはなんでもせねば。は自由ですね。なんとしても成功したいなら、人殺し以外は何でもありか。

 

・離婚を二度している

不倫で最初の妻と離婚して再婚。しかし、その50代での再婚もその後離婚。この悩んだ経験が「道は開ける」につながったと、誰かが書いてました。「思考は現実化する」のナポレオン・ヒルも、たしか結婚3回か4回。共に自己啓発書=人生の成功を指南する本を出して大成功しましたが、私生活では失敗ばかり。まあ、そんなもんかもしれませんね。統計はないですが。芸能人や芸術家も破滅型が多い。安心しますね。私もあなたも(笑)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

著書

おすすめカテゴリー記事