やしきたかじん在日反骨パワー

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やしきたかじん。関西では有名。だったらしい。私は「やっぱ好きやねん」の歌しか知らない。程度。「そこまで言って委員会」は人気番組だったらしいが、それも見たことない。関西だけ?全国放送でも見てないだろう。世相を斬るとか政治経済とかそういうのは興味ない。が、偶然、以下の記事を見た。こういうのは非常に興味がある。なぜかわからない。

 

私は日本国籍だが、なんか在日差別とか、被差別部落系には興味がある。なぜだろう?同情?可哀想だから?でもない。日本でも海外でも、そういう場所によく行く。アジアのスラム街とか。世界一周で行った中南米・アフリカ・中東・アジアでも、その手の場所を好んで行った。帰国後のアジア渡航でも、モロッコでも、ウクライナでも。インドもフィリピンも。スラム街や貧民街が好きだ。好きというか興味というか好奇心が強い。

 

一つ、思い当たることがある。昔、私が非常に愛した人がいた。その人が被差別部落の人だった可能性が強い。わからんが。それを親がなんとなく批判。子供心に反発した。嫌悪。さらに、大学で偶然、共産党系だったこともあり、一時期、共産党系の部落問題研究会とかに出入りした。1回とか2回だが。その後、京都や兵庫の被差別部落に行った。まあ、その程度。

 

ずっと後になり、起業家の人生研究をすることが多くなり、孫正義をはじめ、在日などの差別をバネにした人が意外に多いことに気づいた。芸能界やスポーツ選手も多い。松田優作、和田アキ子、力道山、前田日明、大山倍達、張本、王監督、OKウエブ創業者・・・。実力+差別とかへの反骨心。ハングリーな生い立ち。梁石日、つかこうへい、伊集院静・・。

 

私は銀行一家の裕福な家庭に育ち、家には黒塗りの役員車が毎日来ていた。たまに遅刻しそうになとき、その車に乗って小学校へ送ってもらった。なんかいい気分。だった自分が嫌になった。かなり後になって。だからオレはダメなんだと思った。後年、実家は破綻した。父は私が高2の時に脳血栓44才で死んだが、財産はあった。バブル時代は5億円の価値。母も働くことはなく、私も軽いバイト程度で大学も卒業した。

 

その後、私が33才の時、母親が他人の連帯保証1億円をかぶり、バブル崩壊も同時進行し、資産価値もいっきに下落。5億が1億以下になり、先祖代々の資産を全部売っても足りなかった。母の相手は妻子ある男。まあ、不倫だ。地上げ屋。チンピラみたいな。佐賀県和多田の大地主の息子60代後半。当時。浦川清。ある時は清史。名前を使い分け。債務を誤魔化すためだろう。まあ、もう無一文だった。あとで知ったが、典型的な大金持ちや資産家のバカ息子。土地も畑も資産も全部売り払い、それでもダメなので、あちこちに借金をしまくり、一銭も返さずにいた。うちが一番大きかった。1億円。他に、中山さんという人が3000万か。もう忘れた。

 

が、なんか全部失って清々した感じもあった。こんなに家が資産家とは知らなかったし、興味も全くなかった。考えたこともなかった。田舎へ帰る考えもゼロだったし。が、私も借金の連帯保証人になり、こんな事件をしでかした母を責めた。愛人の債務を背負い込んだのだから。しかも、親戚から「財産は子供に残さんでいい」と言っていたと聞いた。それは別に構わない。まったく期待もしてなかったし。が、自分の愛人に捧ぐ?お前が稼いだ財産でもないのに。爺さんと父が残した土地と家と株券を、汚い野獣のような浦川清に捧げる?それは納得行かなかった。そして親子の確執というか、醜い闘いが始まった。が、その時にはかぶった借金1億に対し、資産は8700万円に下落。なんでこんなことになったんだ!・・・

 

話がずれたが、ハングリーに憧れていた。生い立ちとか境遇が。自分の逆。昔、ハングリーな貧乏な同級生をバカにしたことがある。何回か。それがトラウマになっている。ホンの少しだが。申し訳ないと思った。だから自分が痛い目に遭った時、なんかざまあみろと思った。

 

孫正義は在日を隠さず、高校時代から本名を明かした。こそこそやりたくない。国籍など関係ない。正々堂々とやった。帰化して日本国籍になったが。が、私の友人でもいる。在日の人が。彼はずっと日本人名を名乗っていた。が、ある時、在日韓国籍だとカミングアウトした。雑誌かブログか何かで。公の場で。「もうしわけありませんでした」と。なんで謝る?と違和感あった。が、なんとなく気持ちは分かった。今だに在日差別はある。私の親しい友人や知人でも、あからさまに中国人や韓国人をバカにする、差別する人は意外に多い。驚く。被差別部落やヤクザも。が、それも仕方ないのだろう。自由の国アメリカでも、今だに黒人差別は普通にあるし。本音と建前がある。自然界や動物の世界では差別が当たり前。差別というか、動物の種目・科目が違うと、差別どころか殺して食うのが当たり前。同じ人間でも、国や人種が違うと、見た目や言葉や習慣が違うと、それはやはり違和感というか、馴染めないのは自然なのだ。普通に。理性とかないし。半分は。人間も動物だから。動物になると。感情というか感性というか、本能のままに生きるのが普通なのだ。人間は。半分は。

 

しかし、やしきたかじんの建前と本音。あの年代は仕方ないか。悔しかっただろう。隠して。それが強大な反骨パワーになったのだが。で、今回の本は角岡というジャーナリストが書いたが、本人は加古川市の被差別部落出身とカミングアウトしてる。だから、やしきたかじんのルーツを書けたのだ。ちなみに、やしきたかじんの父は韓国人だが、母親は日本人。だからハーフ。が、たかじんの籍は母親に。つまり、国籍は日本人。父も母もいる家庭に育ったのに、戸籍は母子家庭?差別を避けるために?親の配慮か。そりゃ余計、荒れるよね。自分が何者かわからない。が、だからこそのステイ・ハングリー!パワーが出たのだ。オレもそうだったらなあと期待したことが何度もある。在日か被差別部落だったら、ものすごいパワーが出たのではないかと。この「栢野」が半島出身という伝説もある。西暦500年頃の渡来人。今の釜山あたりに「伽倻」という国があった。が、高句麗や百済よりも先に滅び、当時仲良かった日本へ沢山渡来したという。本も検索もたくさん出る。伽耶=栢。が、1500年前のことはわからない。

 

やしきたかじんが口を閉ざしていた「在日」のルーツに迫る評伝が出版

やしきたかじんが亡くなって8ヶ月。大阪を中心に多くの人々から愛され、この数年は橋下徹大阪市長、安倍晋三首相などの政治家たちにも恩人と慕われていたたかじんだが、しかし一方で彼の死後、その周辺でトラブルも巻き起こっている。

 

食道がんが発覚する直前に入籍した3番目の妻と、たかじんの事務所関係者や長女など親族との確執だ。妻はたかじんの死を実母や兄弟にも知らせず、葬儀にも出席させなかったという。また、偲ぶ会にも実娘や長年支えてきたマネージャーを招いていなかった。こうしたことから、たかじんの親族がその怒りを週刊誌に告発。事務所や名前の使用権をめぐり、妻と関係者の間で骨肉の争いになっているのだ。

 

そんな中、たかじんの評伝が出版された。『ゆめいらんかね やしきたかじん伝』(角岡伸彦/小学館)だ。著者の角岡は自身が被差別部落出身であることを公表したジャーナリストで、同作は9月に小学館ノンフィクション優秀賞を受賞した。

 

しかし、そこに描かれるたかじんの実像は、テレビごしに見ていた姿とは少し違ったものだった。著者はたかじんと古いつきあいがあった人物を中心に、多くの関係者から話を聞き、丹念にその人生を追うのだが、そこから浮かび上がってくるのは、無頼、剛胆、面倒見の良さや包容力といった一般的な評価とはまったくちがう一面だった。ナイーブで小心、そして抱え続けたコンプレックス……。

たとえば、2番目の妻で9年間たかじんと身近に接していた智子氏はこう語っている。

 

「神経が細い人だったので、コンサートが近付いてくると、下痢でおなかをくだして、朝からトイレに何回も入ってましたね。精神的に追い込まれているのがわかりました」

 

また、弟子で付き人だった小丸は、普段、情に厚く優しい人柄だったたかじんが周囲に人がいるとなったとたん、自分を誇示するかのように威張り豹変したと証言する。車を運転している際もひとりのときはそんなことはないのに、同乗者がいると難癖をつけられ、自分の力を誇示するかのように後部座席から殴打される。

 

「酔っ払っているときは恐怖でしたね、人が怒られるのを見るのもつらかったですね。あまりに理不尽な怒り方をしはるんで。うわー、次は自分にくるんちゃうかって恐怖がありました」

 

これまで語られることのなかった、たかじんのもうひとつの顔。その背景にあったものは何か。本書ではもうひとつ、たかじんが決して語ろうとしなかった顔に切り込んでいる。それはたかじんのルーツ、父親が在日韓国人だったという事実だ。

 

「父親は一九二六年に朝鮮半島で生まれ、十四歳で弟とともに大阪に渡ってきた」

その後、日本でたかじんの母親と出会い、男ばかり4人の子どもをもうける。たかじんはその2番目の子どもだ。父親は水石鹸を作る工場を起こすなど事業を成功させたが、一方で何度か破産もしているという。

 

芸能界に入る前、たかじんは友人であり、後に彼の詞を書くことになる荒木十章に泣きながら「実は親父は韓国やねん」と語ったことがあった。荒木は本書の中でこんな推察をしている。

 

「親父が在日韓国人というのはコンプレックスになってたんでしょうね。当時のことやから、就職のことなんかを考えると、しんどいなというのはあったと思うんです」

 

しかも、当時の時代背景もあったのだろう、父親は息子たちの将来を案じ、日本人の母親とは籍をいれなかったのだという。

「つまりたかじんは、母親の私生児であり、日韓のハーフである」

 

本書が書いたこのことは彼の生まれ育った大阪西成の在日社会ではよく知られていたらしい。しかし、たかじんは芸能界に入ってから、そのことを周囲にも一切語ることはなかった。それどころか「たかじんにとっては最も触れられたくない事柄」であり、それはたかじんに大きな影を落としたことさえうかがえる。

 

生前、本人が決して明かそうとしなかった“出自”に踏み込んだことについて、著者の角岡氏は小学館ノンフィション優秀賞の贈呈式でこう述べている。

 

「たかじんさんが隠していたことを書くということは、すごいプレッシャーでした。僕自身は部落出身ですが、人のルーツを書く時はナーバスにならざるを得ない」

 

だが、角岡はそこにあえて踏み込んだ。おそらく、それこそが最近の政治へのコミットも含めたたかじんという男の生き方を解き明かす鍵だと考えたからだろう。本書でも指摘されているように、包茎手術の経験までテレビで語るなど私生活を全部晒し、『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)というタブーなき番組の司会者もつとめて、過激な発言を連発していたたたかじんが、出自というタブーを抱え込んだままだったというのはあまりに意外に映る。

 

たかじんが亡くなってしまった今、その理由を明確に答えることが出来る人はいない。しかし『そこまで言って委員会』の常連出演者であり在日三世の朴一は角岡の取材に対し、「一緒だった」と推測している。

 

「朝鮮半島出身の元力士でプロレスラーの力道山は、力士時代に出世の障害になるからという親方の判断で、通名を与えられ、出自も長崎出身に書き換えられた。プロレスラーとして成功しても、その嘘を貫き通そうとした。同胞には『隠していかないと生きていけなかったんだ。わしが朝鮮人だと言ってみろ、ファンがどれだけ落胆するか』」
「たかじんは力道山と同じように視聴者の反応を気にしていたのではないか」

 

だが、これもまた、完全な答えにはなっていないような気がする。そして答えを見つけようとしても、たかじんは自らのタブーを最後まで隠したまま逝ってしまった。

 

「在日」という言葉がとても簡単に、しかも戦時中の「非国民」と同じような意味で使われるようになってしまったこの時代、その言葉がいかにひとりの人間に深く重いものを与えているか、そのことを改めて認識させてくれる一冊だ。
(一場 等)

以上の抜粋もと http://lite-ra.com/2014/09/post-464.html

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