比叡山で行われている千日回峰行とは?

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比叡山の苦行「千日回峰行」をやった大僧侶?酒井さん。のことはなんとなく聞いたことがあった。が、詳しいことは全く知らなかった。が、以下がその素性。林さんの番組で昔の酒井さんの素顔が出るが、こりゃ本当にダメ人間だ。人相が良くない。冴えない。犯罪もしたそうだが、まさにそういう顔だ。転職の失敗を繰り返し、借金も抱え、夜逃げ同然?で結婚。が、妻は従姉妹で、新婚2ヶ月目にガス自殺。理由はわからないが、自分が殺したようなものだと茫然自失の日々を送る。そんな姿を見かねた妻の母親に、比叡山へ連れられる。そして、39歳で出家。その後は大阿闍梨の道へ。私もそうだが、昔の酒井さんのようなダメ人間は山のようにいる。酒井さんの二代目のような道を歩んだのが、下の下の塩沼さん。も、育った家庭は悲惨系だ。まだ若い。2人とも、育ちも経歴も大したことはない。出家するまでは。そこがいいね。身近だ。親近感を感じる。塩沼さんは満行後、講演とか著書の依頼を受けるようになったが、それは酒井さんもそうだった。偉業を成し遂げると、講演や執筆の依頼が来る。私は偉業はしてないが、似たようなイイ目に逢わしていただいた。

『林先生の痛快!生きざま大辞典』に酒井雄哉大阿闍梨が その2  抜粋元

TBS系テレビ番組の「テッペン!『林先生の痛快!生きざま大辞典』」に酒井雄哉大阿闍梨が取り上げられました。

下記のURLをクリックされますと、当日の番組が御覧になれます(動画をアップしてくださった方ありがとうございます)。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=q1TPbFnuq_U

この記事では、その番組を再現したいと思います。

番組は、①酒井雄哉大阿闍梨が満行された「千日回峯行」について、②僧侶になるまでの遍歴、③僧侶になり、過酷な「千日回峯行」を経ての境地、という三つの構成でした。

①「千日回峯行」について

「千日回峯行」は京都・滋賀にまたがる比叡山で決められた行程を廻り、その行程にある260ヶ所で礼拝をする修行である。

それは7年間にかけての修行で、1年目は1日30kmの行程を100日間、2年目はの1日30kmの行程を100日間、3年目は1日30kmの行程を100日間、4年目は1日30kmの行程を200日間、5年目は1日30kmの行程を200日間、6年目は1日60kmの行程を100日間、7年目は1日84kmの行程を100日間と、1日30kmの行程を100日間を修行される。

その5年目に9日間の堂入りがあり、1日1回のお供えのお水を汲みに外に出る以外はお堂に篭もる。その9日間は、一切、飲まず、食わず、寝ず、横にならずに決められたお経をとなえる。

もし、「千日回峯行」の途中で修行を辞めたいとなったときは、短刀で自害するか、紐で首を吊って自害しなくてはならない。装束も白装束、つまり死に装束で修行することから死を覚悟しての修行となる。始めたら後戻りができないと。

②僧侶になるまで

転々といろいろな職業に就いたことを紹介。

「図書館職員」⇒「職場放棄」(要領を得て順調にいっていたが、仕事がイヤになり仕事を辞め、仕事に行くふりをして、他のところで時間をつぶしていたこともあったと。)

「ラーメン屋」⇒「火事」(火事になって廃業)

「株屋の代理店」⇒「大暴落」(大暴落で1億円の借金を背負ったと言っていました。)

「そば屋」⇒「いじめ」(同僚の若い女性にそばの袋をかぶせて、粉だらけにしたことも。内容を聞いて、いじめというよりもいたずらの類だと思いますが、後の酒井師ご自身は、若気の至りとはいえ、何でそんなことをしたのだろうとの振り返ったそうです。)

「菓子屋」⇒「ピンハネ」(セールスマンだったが、受け取った代金をピンハネしたことも。)

と何をしても失敗し、いや挫折とはいえない本人の責任ともいえるものもあったことが指摘されました。

ゲストからは、「あれだけの修行を達成した方とこの頃とは落差が大きい」といったコメントが。

また、ほかのゲストからは「このような経歴だったからといって、どうしてあれだけの修行をすることになったのかが、どうもわからない」と。

それを受けて林先生が「その後、大きく絶望することが起きたのです」と。

それが

「妻の死」

新婚まもなく奥さんが大阪の実家に帰ってしまい、友人に相談したところ、奥さんの所に行ったほうがいいと言われ、大阪に向かったが、新婚2ヵ月目で奥さんは自ら命を絶たれました。

「なぜ奥さんは自ら命を絶ったのでしょうか?」の質問に

「もしかしたらこんな調子(これまでの生き方)だったから奥さんが愛想を尽かしたのかも」と林先生は想像します。

酒井師はあまりのショックに抜け殻のような状態が続いたそうです。

それを見て、奥さんの母親の勧めで比叡山に向かったといいます。

ゲストからは、奥さんの母親の心境について「酒井さんに娘の親として悪いイメージはなかったのか」というコメントも。

林先生は「母親と娘というのは結びつきが強いもので…」と。

③僧侶になり、過酷な「千日回峯行」を経ての境地

そして、39歳にして僧侶に。

その時の酒井師の心境は

生き残らされた

この言葉です。「生き残った」ではなく「生き残らされた」と。

酒井師は、自分は生き残されて、何か自分には使命があるのではないか、と思い至ったそうです。

「でも修行している間は悩む暇もないですよね」というゲストからのコメントに対して、林先生は「逆に悩む暇しかないということです」と。 するとゲストは「それはイヤですね」と。林先生は「だから修行はつらいんです」と。

そして、「千日回峯行」に挑み、達成して、

酒井師に修行を達成した心境を

千日回峯行はラーメン屋と同じようなもの

と言ったそうです。

そして、

人間のやることに偉いも偉くないもない。仏さんから見れば全ては平等なんだ

酒井師は僧侶になる前にラーメン屋の経験もあります。それになぞらえてラーメン屋が仕込みをしたりするように、それぞれの持ち場でそれぞれのことを一生懸命こなしているようなものだと言うのです。

「これは経験がなければ出ない言葉ですね」と林先生。

そして、

誰でも、それぞれの持ち場が必ずあるものだ

という酒井師の言葉を紹介。

ゲストが一同に、そういった言葉に感心すると、

「ITで儲けて外車に乗っているような社長が「誰でも、それぞれの持ち場が必ずあるものだよ」なんて言ってもむかつくだけで、その言葉を聞いても感動しませんね。ということは、何を言うかも大事ですが、同じ言葉でも誰が言うかが大事ではないでしょうか」と林先生。

そして、

酒井師の言葉には

千日回峯行で得たものは何もない。ただそのおかげで今がある

それを受けて、林先生は般若心経にある「色即是空 空即是色」という言葉から「千日回峯行で得たものは何もない」の「ない」の意味を読み解こうとしていました。
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そして、酒井さんの姿を小学生時代にテレビで見て、自分も同じ道を目指した塩沼さん。

以下の抜粋元はコチラ

光ある道を歩むか、そうでない道を歩むか。すべては自分の心次第です 塩沼亮潤さん(慈眼寺住職、大峯千日回峰行大阿闍梨)

しおぬま・りょうじゅん●1968年、仙台市生まれ。東北高校卒業。1987年、19歳で吉野山にある金峯山寺(きんぷせんじ)で出家得度。修行と研鑽の生活に入る。1991年、「大峯百日回峰行」(おおみねひゃくにちかいほうぎょう)満行。翌年1992年に、48キロ、高低差1300メートル以上の山道を一日16時間かけて、1000日間休まず往復する修行「大峯千日回峰行」(おおみねせんにちかいほうぎょう)に入行。1999年に満行し、大阿闍梨(だいあじゃり)となる。2000年には、9日間「飲まず、食べず、寝ず、横にならず」を守る修行「四無行」を満行。2006年には、8000枚の護摩木を焚き上げる「八千枚大護摩供」を満行。
2011年10月19日

仙台にある「慈眼寺」の住職として、
人々に教えを説く塩沼氏。
吉野・金峯山寺の1300年の歴史で、
2人しか成功したことがない厳しい修行
「大峯千日回峰行」を満行させた人物だ。
小学校からその修行に憧れていたというが、
きっかけは何だったのだろうか。

お金はないけれど、笑いと人情のある家庭だった

私が24歳のときに入行した「大峯千日回峰行」というのは、奈良県・大峯山の頂上まで48キロの山道を1000日間、一日も休まず往復するというものです。歩く期間は毎年5月3日から9月22日までの約4カ月間。1000日間歩き、満行するまでには9年間かかります。行(ぎょう)の間は、けがをしても高熱が出ても一日も休むことはできません。もし休んだら、短刀で腹を切らねばならないという厳しい掟があります。

実は私は、小学校5年生の時からこの行をしたいと思っていたのです。きっかけは、祖母と母と3人で見ていたテレビ番組。そこには比叡山で「千日回峰行」をされていた酒井雄哉大阿闍梨の姿がありました。子どもですから、内容はよくわかりません。でも、すごい距離の山道を歩き続けるお坊さんの姿を見て、「私もこれをやりたい」と強く思ったのです。それが大河に通じる源流の一滴、皆さんの言葉でいうと、「夢」でしょうか。欲心がない純粋な心で、「いつか、あの行をしたい」と思い続けていました。その思いは、中学校、高校になっても全く変わりませんでした。いつか「千日回峰行」をする日のために、足を鍛えようと、高校の3年間、行き帰りの片道4キロを毎日走っていたこともあります。雨の日も風の日もです。

なぜ、そこまで強く憧れたのか、とよく聞かれます。行者は、行で心を磨き、それを人に伝えることによって人を助けるのが仕事です。今から考えると、私は小さいころから「世の中のためになることをしたい」と考えていたように思います。普通なら、小学校では考えないかもしれません。でも、そんな風に考えたのは、私の家庭環境が影響していたのではないかと思います。

私の家はとても貧しくて、いろいろな方々から援助を受けていました。両親は離婚しており、祖母と母と私の3人の暮らしは逼迫していました。でも、母はとても明るい人で、本当にたくさんの人が、いろんな食べ物を持って家にきてくれて、飲んだり食べたり、貧乏でも大変にぎやかな家でした。お金はなかったけれど、笑いと人情が絶えない家だったのです。

私はいつか、そうして自分を助けてくださった人たちにご恩返しをしたいと思っていました。ですから、「千日回峰行」に取り組まれる酒井雄哉大阿闍梨の姿を見たときに、「私もこの行を通じて、世の中のお役に立ちたい」という思いがあったのではないかと。そういう考えに至ったのは、やはり母と祖母の教育ではないでしょうか。また、母は、「人に迷惑をかけてはいけない」「困った時にたとえお水いっぱいでも、ごちそうになったご恩は忘れてはいけない」と口ぐせのようにいつも言っていました。自分のことだけを考えて、人のことを考えないとひどく叱られました。そういう幼いころからの家庭教育が、私の人生のバックボーンになったのだと思います。裕福で何でも買ってもらえるような家庭環境に育っていたら、きっと今の自分はなかったでしょう。

39度の熱を出し、滝に打たれ、険しい山道を行く

「大峯千日回峰行」は、毎日午後11時45分に起床して、滝に打たれます。500段登ったところにあるお堂で山伏の姿になり、午前0時半に出発。真っ暗の中、提灯を一つ持って、山道を一人で登ります。マムシやイノシシ、熊も出ます。台風の時もあれば、激しい雷、豪雨に見舞われることもあります。毎日、午後3時に帰ってくるのですが、それから掃除、洗濯など、身の回りのことは自分でしなければなりません。ですから、睡眠時間は4、5時間でした。

一番つらかったのは、体調を崩し、10日間で11キロやせたときです。488日目あたりから下痢が続き、脱水症状のような状態になりました。39度の高熱で身体の節々がひどく傷みました。そんな中、滝に打たれ、2リットルのペットボトル4本の水を持って、行に向かいました。どんなに下痢がひどくても、山の中で水を補給できる個所は2カ所しかありません。神社の雨どいの水か、ドラム缶にたまったさびた水。それも飲みました。数百メートル行っては倒れ、の繰り返しです。

しばらくして倒れ込んだとき、全身がマヒしたのか、気持ちいいなと思うようになりました。恐怖心など全くありません。思い出したのは、お世話になった近所の人たちや、母親、祖母の顔です。走馬灯のように、支えてくださった方の顔が浮かびました。そのときふいに、私が寺に入る日の朝に母が言った「砂をかむほど辛い思いをたくさんしてきなさい」という言葉を思い出したのです。「そういえば、砂をかむような思いはしたことがないな」と、試しに顔のそばの砂をかんでみました。これが、とてもまずかったのです。そうしたら急に目が覚めまして、火事場の馬鹿力ではありませんが、遅れた分を取り戻そうと走り出しました。山頂に到着したのがちょうどいつもの時間。このときばかりは、人間には底知れぬ力があるのだなあとつくづく思いました。

そういう底力を出せたのは、自分で決めたことはなんとしてでも、やり遂げたい、人に心配をかけたくないという思いが強くあったからです。行は、修行をさせてくださいと自分からお願いしている立場です。しかし、これはどんな仕事でもいえることだと思います。いやいややる、やらされ仕事では皆さんには喜んでいただけません。


「何かに挑戦することで、
人は成長する」と塩沼氏は語る。
そして、そういう人生こそが、
面白いのだと。

目の前のことに精一杯取り組むと、道が開ける

行は心を磨く学校のようなものです。行をしている最中は、ただひたすら自己を見つめて精いっぱい努力していきます。そのなかで成長を感じられることが喜びではありますが、それだけでは、行者としての使命は果たせません。行で学んだことを、世の中の人に伝え、皆さんにも心がおだやかになっていただくようにお手伝いする。これが、行者の役目です。

「大峯千日回峰行」を終えると、講演や対談、本の執筆など、いろいろな仕事をいただくようになりました。これまで大勢の人の前で話した経験はありません。最初はなかなか思ったようにはいきませんでしたが、「今日より明日(は、よくなっていたい)」と、引き受けた仕事を全力で繰り返しているうちに、少しずつできるようになっていきました。

やはり何かに挑戦することで、人は成長していけるのだと思います。誰かが切り開いた道にはデータがありますが、挑戦にはデータがありません。そこに成長のポイントがあるのです。

調子が悪いときほど、攻めの姿勢で向かう

私は、辛いときや調子が悪いときほど、攻めの姿勢で向かったほうがいいと考えています。そのときに必要なのが、ゆとりです。例えば山で行をしていると、5分の遅れが命取りになります。5分遅れると、それを取り戻すのに非常に時間がかかるのです。無理に頑張ると、いろいろな所にひずみが生じ、体調を崩す原因にもなります。逆に5分でも余裕を持って臨むと、その5分のゆとりが心のゆとりになり、小さな気づき、悟りにつながる可能性があります。

また、発想の転換をしていくことも重要です。厳しい状況下で、職場環境や人間関係で悩んでいる人も多いと聞きます。私も修業時代に、ある一人の僧侶を理解できず、どうしてもやさしさや思いやる心を素直に表現できずに悩んでいた時期がありました。今ならばマイナスの出来事を試練と受け止め、プラスに転じることができるのですが、若いころの自分は、頭でわかっていてもなかなかできません。心がすっきりしないまま、迷いの渦の中で苦しんでいたのです。しかし、あきらめずに努力していると、心の中に変化が起きました。「今までこの人を受け入れられなかったのは、自分の心が小さいからなのだ」。そう心の底から思えた瞬間に、その人に対して素直にやさしさを表現することができました。するとその人からも、やさしい言葉が返ってくるようになりました。そして「この人がいたからこそ、自分は成長できた」と、心から感謝できるようになったのです。マイナスだと思うことを、自分の成長だと思い、感謝する。それが自然にできるようになってから、私の人生は180度好転しました。

人には、あらゆる可能性があります。善く生きる可能性もあるし、悪く生きる可能性もある。どちらに転ぶかは、すべては自分の心次第です。どんなに困難なことでも、目の前にあることから逃げずに、精一杯取り組むこと。そして、縁を大切にし、与えられた仕事を、心をこめて精一杯させていただく。そうすると、必ず道が開けていきます。

information
執らわれない心
塩沼亮潤著

東日本大震災から半年が過ぎた。仙台在住の大阿闍梨が、震災後の「人生のあり方」を説く。「この震災を機に、反省すべきところは反省し、人生のあり方を根本から見つめ直し、意義ある人生を刻んでいく時期にきている」と塩沼氏は語る。本書には、「日本人よ、自然に帰ろう」「いつかに備えて日々を過ごす」「想定外という無責任」「人生はよいことも悪いことも半分半分」など、震災を通じて塩沼氏が考えたことがつづられている。巻末には、「伸びる人と伸びない人との違いは、まず言い訳をするか、しないかです」「長期間にわたり何かをするときは、調子がいいときには抑えて、調子が悪くなったときのために、力を温存しておかなければなりません」など、生き方を記す言葉がたくさん収録されている。今、何をすればいいのか迷った時や、苦しい状況にあるとき、読みたい本だ。PHP刊

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  1. 2016 08.03

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